仲良し教師集団

孤 独

教員はとかく孤独に陥りやすい。現在、教育現場ではストレスを感じメンタル面の病を抱える先生方も多く心が痛む。その多くが「孤独」からくるものであると思っている。(勿論他の教員からのいじめや保護者からの圧力、生徒との関係がうまくいかない事なども原因になっているが)教師には守秘義務があるので学級や担当する授業のことをあまり口外することはできない。あまりと言うのは上司や相談を受ける立場に人を除いて、と言う意味である。我が家は夫婦で教員をしているのでこの辺のルールは徹底して守っている。生徒が怪我をした、風邪をひいたなどの情報は交換するがそれ以上のやり取りは一切しない。お互いに生徒やその保護者と電話をしている時には自宅の別の部屋に行くようにしている。今の時代に逆行しているのかもしれないが、「教員はもっと孤独になるべきだ」と自分は考えている。自分がいる学校の教員室の雰囲気を思い出した時にそう思うのである。先生方を見ていると「本当に生徒に関心を持っているのかな?生徒を心から愛しているのかな?」と疑問に思ってしまうことが多々ある。表向きには生徒と波風立てない関係を築き、しかし教員同士が集まると生徒や教師会、或いは特定の教員の悪口を言っているのが現状である。あとで聞いた話だがこの私も教頭時代にはかなり槍玉に挙げられていたようだ。30代後半から40代の教員に特有の雰囲気なのかもしれない。ネットやfacetime(今だったらzoom)を使って海外で研修している先生たちともコンタクトを取って悪口を言ってスッキリするそうだ。「もっと孤独に…」というのは自分が言われる側だからそう考えているのではなく、本来生徒に眼と心を向けて悩みながら行動する孤独感をもっと味わうべきだと思っているからだ。孤独だからこそ他の担任が悩んでいる様子が今の自分に重なって見える。そこに信頼感や親近感が生まれてくると思っている。孤独にそこに生まれる連帯感や仲間意識、絆は本物だと思うのだが、そうなれず群れることが大好きな教員…増えてしまったな、と言うのが年寄りの実感でありぼやきである。

新任当時の様子

過去のブログでも紹介しているが元々高等学校に採用予定だった自分は着任直前になって中学校所属になった。自分の気持ちからすると「なってしまった」といったところだ。自分は高等学校の教員になりたかったのでかなりのショックを受けた。しかしこの経験がどれだけ教員としての幅を拡げたか分からない。新任の頃は右も左もわからない状態なのでとにかく先輩の先生方の指示に従う。そして注意やお叱りを受ける。その繰り返し。最初は「高校の教員ならはじめから自由にさせてもらえるのに」と思ったが指導されていることが全て的を射ており自分のためであることが徐々に分かってきた。先輩の先生方が一丸となって一人の新米教師を育てようとする雰囲気が感じられた。本当にありがたかった。今思い出すと恥ずかしく顔を赤くする失敗も沢山あったが先生方はそんな私を赦し鍛えてくださった。新任の頃、結構恐怖だったのが「教師会」である。火曜日の放課後におこなわれる。教師会を恐怖に思う問題の一つはとにかく長い。16時過ぎから始まる会議だが21時頃に終わる。22時をすぎることも珍しくない。長すぎる教師会の理由は何かと言うと「委員会、部会」がないこと。中学校は全ての問題を全ての教員で話し合うことをモットーにしてきた。だから全ての議題に対して誰でも意見が言えてしまう。まとまるのに時間がかかる。成績会議ともなると2日かかる。もう1つの問題はとにかく自分の担当する生徒を心から愛しているため、意見が喧嘩腰なのである。教頭先生の他にもう1人すごく怖い先生がいる。暴力団とも渡り合えるほどの気迫の持ち主だ。この先生が発言するとそれがゴングとなる。普段は明るくて陽気だが弁の立つ先生がこれに応戦する。すると別の先生がヒートアップ。本当にクリスチャンの集団なのかと思ってしまう。気の弱い自分はこういう場面になると両親の夫婦喧嘩同様下を向いて絶対に顔をあげられない。顔を上げて目があったら流れ弾に当たるかもしれないからだ。そして心の中で「神よ、この会議に平和を!」と祈る。この2つの問題がネックとなり毎週火曜日は憂鬱になる。ところが、ところがである。あれほど喧々諤々言い合っていた先生方が、教師会終了と共に「ノーサイド」になるのだ。少ししこりが残りそうなものだが、会議室から教員室に戻る時には大声で笑いあっている。逆に心配になる。錯乱か?違う、これがノーマルな状態なのである。そしてこの教師たちが本当に仲良しなのである。夜になるとみんなでサッカーに興じる。野球もしていた。また休みになると旅行にも行っていた。

旅の思い出

今までの旅行といえば、近場では島根、鳥取。遠くだと高知、沖縄、九州、韓国に連れて行ってもらった。この旅行も珍道中でとても楽しい。旅行になると我々のような新米教師の出番である。車の運転、プログラムのアレンジ、お店の選定などが任される。今のようにインターネットで調べられる時代ではない。ガイドブックで調べるのだ。沖縄に行った時、ある先生が沖縄で仕事をしていたことがあり土地勘があるということで時間を全て計算してもらった。しかしこの計算が全て間違っていた。沖縄に詳しい人ならこの計算が如何に間違っているかが理解してもらえると思うが、この先生の計算では北谷から辺戸岬まで下道(当時高速は開通していなかったので)を使って40分と計算していた。着くわけない。その3倍はかかる。すると、あの暴力団の先生が登場する。「いつになったら着くんだ?」と。運転している方も気が気ではない。当の間違った計算をした先生は涼しい顔で「僕が住んでいた頃に比べて沖縄も大きくなったな」と言っていた。そんなわけない。また出雲に行ったときも凄かった。この時はマイクロバスではなく乗用車4台に分乗して行ったのだが2日目の行程で昼食を有名な「荒木屋さん」で出雲そばを食べる計画を立てていた。その前の予定が遅くなったのと荒木屋さんまでの道が渋滞していることもあり予定が大幅に遅れた。4台が連なって走っていたが私たちの車が先頭。すぐ後ろに暴力団先生が運転する車。ルームミラーで後ろの車の様子がわかる。お昼もとっくに過ぎている時間でお腹が空いているのだろう。怒っているのがよくわかる。正午到着の予定が13時半を過ぎても着かないから緊張感もマックス。ついにある交差点で後ろの暴力団車に動きがあった。運転席ドアが開き降りて来てしまった。こちらの車に同乗していた陽気な先生が大声で「ドアをロックして。窓は開けないで!」と叫んだ。暴力団先生がこちらの車の窓を叩いた。開けろという。陽気な先生が「ダメ、絶対に開けちゃダメ」。こんな調子でやっと荒木屋さんについたのが14時10分前。知らなかったのだが14時で一度店を閉め準備中になるという。もしもそうなったらいよいよ殺される。私ともう一人の先生で必死に荒木屋さんにお願いして入店させてもらった(現在はそのような準備中の時間はないようだ)。九州に行った時は一人の先生の実家が高級料亭を営んでいらっしゃりそこに招待してくださった。ひとり1万円ではきかないコース料理をいただいた。珍道中もたくさんあったが本当に懐かしく、仲の良い教師集団だな、とつくづく思ったし本当に良い思い出となって残っている。その頃を知っているから、真逆の教師集団になってしまった今が本当に寂しい。昔を懐かしんで今をぼやく、自分が情けない。

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