栄光にかえてくださる

パウロの経験

パウロの経験した裁判、弁明、そして投獄、軟禁生活が福音宣教、拡大になくてはならないものだったことを書物から教えられた。

パウロのこの経験の中に、われわれのための教訓がある。それは神の働かれる方法を示しているからである。主は、われわれには失敗であり 敗北だと思われることから、勝利をもたらすことがおできになる。われわれは、神を忘れ、見えないものを信仰の眼で見上げることをせず、目 に見えるものを見つめるという危険がある。不幸や災難に見舞われると、 すぐさま神は無視しておられるとか残酷だと言って神をとがめる。神が、 ある方面でのわれわれの有用さを断ち切ることが好ましいとお考えにな ることがあるが、われわれは、こうして神がわれわれの益となるよう働 いておられることを考えてみもせずに嘆く。われわれは、こらしめが神の偉大なご計画の一部であり、苦悩のむちを受けてクリスチャンは、時には活発な奉仕に携わっている時よりももっと、主のために多くの事をすることができるということを学ぶ必要がある。

患難から栄光へ電子版p369ローマからの手紙

生きているのはもはや

どうでも良い、という投げやりな意味ではなく積極的な意味で「自分自身はどうでも良い」と最近思うようになった。自分の意思や感情も神様が与えてくださったものなら大切にしないといけないが、素の自分から出ているのであればそんなものはどうでも良い。今は自分の体と思いの全てを使ってイエス様が生きてくださることを願っている。なかなかうまくはいかないが、でもそうありたいと願っている。

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 

ガラテヤ人への手紙2:20

「わたしの記念としてこのように行いなさい」安息日礼拝説教2021年9月25日伊藤滋牧師

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA