祈り
このところ色々な問題が重なって起きている。教会のこと、両親のこと、夫婦のこと、夏休みの子どもとの約束、仕事のこと等々。祈れば祈るほど状況が悪い方向に進んでいくように思えた。いつものことである。こういう状況には慣れているがそれでも心が騒がしくなり絶望にも似た気持ちになってしまう。「神様が祈りを聴いてくださっていることを信じています。でも、熱心に祈れば祈るほど、あざ笑うかの様に道が閉ざされるのは何故ですか?」と毎晩車の中で叫びとも祈りともつかない声を上げる。イエス様の約束は確実だし「わたしはあなたを決して離れない」と約束してくださっているから、自分の不信仰が問題なのはよくわかっている。しかし次から次へと立て続けに色々なことが起これば、やはり穏やかではいられない。こういう状態になると、待ってましたとばかりにサタンは熱心に働く。いつものパターン。自分の耳元で囁き続ける。
「お前の祈りが聞かれるとでも思っているのか。聖書の約束は正しい。しかし、それはお前に対する約束ではない。あれは神がヤコブに約束したことだ。それを鵜呑みにして自分に適応するとはおめでたい奴だ。」
神様の約束を否定した後で更にこう囁く。
「お前は今までどれほど多くの人を傷つけてきたのか。お前がイエスキリストを証しすれば、それこそキリストの顔に泥を塗る行為だ。今まで人に掛けた迷惑を全部思い出してみろ。お前に良心があるなら、生きる価値の無い人間であることが分かるはずだ。これ以上人を傷つけるな。これ以上キリストに恥をかかせるな。無価値な者らしく、ユダの様に自分の最期は自分で決めろ」
毎回この囁きが続く。そして
「そんなはずはない。自分には確かに価値はないけれど、価値があると言ってくださるイエス様がいるのだ」
と必死に抵抗する。
願い
一昨日の祈りから一夜明けた昨日。正直なことを言うと、朝、目覚めたことが少し悲しかった。でももう一日生きなくてはならない。朝の祈りでひとつのことを神様にお願いした。
「自分には神様が見えにくくなっています。神様が必ず一緒にいてこの試練の時を乗り越せさせてくださることを明確に示してください。今、自分は無価値な者だと自覚しています。しかし、もしも神様が共にいてくださるなら、今日わたしを必要としてくださる方に出会わせてください。その人にイエス様の話ができます様に・・・」
とお願いした。
しかし、何も起こらなかった。
思い当たること
何も起こらなかったけどひとつだけ心に引っかかることがあった。それは一本の電話である。夕方、沖縄の市外局番から電話があった。「弁護士?」と思って電話にでると、「家庭教師のトライ」であった。この業者は一生懸命なのかもしれないがとにかく執拗な勧誘をしてくる。何度断っても電話をかけてくる。電話とメールによる攻撃が1年以上続いている。ネットでも家庭教師のトライは問題になっている。こちらの情報を全て抹消するようお願いしても応じてくれない。着信拒否をしても無駄である。電話番号を30個以上持っていて固定電話、携帯電はなどを使いまわして執拗に攻撃してくる。とにかく、家庭教師のトライに絶対に個人情報を流さないことをここで強く勧めたい。話が逸れたが、電話の主が家庭教師のトライだったので、相手に喋らせる隙を与えず「お願いですからこちらの個人情報を抹消してください。以前から何度もお願いしています。抹消しないなら然るべきところに相談します」と語気を荒げて言った。相手はせせら笑っていた。
夜になって祈りながら自分の心がまだ聖霊様によって変えられていないことを痛感した。すぐ怒り感情的になってしまう。家庭教師のトライに対してとった自分の態度を恥じた。もしかしたら不遜な態度で、どんなに訴えてもせせら笑っていた家庭教師のトライのあの人が、自分がイエス様の話をすべき相手だったのでは無いか、と思ったのだ。「靴屋のマルチン」のような感じである。
その時
翌日(今日のこと)も本来は休みだったが同僚がコロナに感染したので出勤することが決まっていた。なので少し早めに寝ようと22時にお祈りをしていた。
「神様、イエス様が共にいてくださる印として自分を必要としてくださる方を与えてくださいとお願いしました。しかし、何も起きませんでした。もしもあの家庭教師のトライがその人であったら、わたしはとんでも無い罪を犯しました。何も起こらなかった、となればイエス様が共におられないことになるので、あの家庭教師のトライがその人だったと思うことにします・・」と祈って少しだけ本を読んで電気を消した。
そんな時、枕元の携帯がLINEの着信を知らせた。卒業生のMさんだった。
(Mさん)「最近、イエス様が本当にいるのかどうか分からなくて苦しんでいます」
(自分)「同感、自分も今の今までイエス様がいるのか少し分からなくなっていたけど、このLINEでイエス様がいることを証明してくれたよ」
ことの経緯を伝え、彼女がなぜイエス様を見失ったかを聴き、アドバイスはできなかったので一緒に聖書の言葉を分かち合った。
このLINEを偶然、という人もいるだろう。恐らく殆ど全ての人が偶然と言うと思う。とても小さな出来事、偶然と簡単に片付けることのできる事だと思うが、自分にとっては命の経験であった。
山積した問題は解決しないばかりか益々悪い状態になっているけど、全宇宙を創造したイエス様が一緒にいてくださることを示してくれた経験である。
不和の原因がほかにも起こっていた。食事の時には、しもべが客の足 を洗うのが習慣だったので、この場合も足を洗う準備ができていた。足 を洗うために水差しもたらいも手ぬぐいも用意されていた。ところがし もべがいなかったので、弟子たちがその役を果たす立場にあった。しか し弟子たちはそれぞれ誇りを傷つけられたという思いに負けて、誰もし もべの役割を果たすまいと決心していた。みんなは平然とした無関心さ をよそおい、自分たちがすることがあることに気がつかないふりをして いた。沈黙することによって、彼らは自分を低くすることをこばんだ。
各時代の希望電子版 p682 しもべの中のしもべ
宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓