盟友
安倍元首相の国葬に際し、菅元首相が「追悼の辞」で山県有朋氏のうたを詠んでいたのが印象的であった。盟友伊東博文氏を失った時のうたであり菅さんは「まさに今の私の心境」と述べていた。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
今まで共に戦い苦楽を共にしてきた盟友を失いことで途方に暮れることは想像に難くない。レベルは全く違うが仕事上の問題で各方面と対座しなくてはならない状況にあったときにずっと一緒に戦ってくれた盟友が自分にもいる。そういう存在がすぐそばにいなくなることがどれだけ不安なことか。アロンを失ったときのモーセ、モーセを失ったときのヨシュアの気持ちはどれほど不安だったことだろう。勿論どのようなときにも共にいてくださる神様の存在を確信していたので心に平安はあったと思うが、目に見える形ですぐに相談できる盟友の存在は大きい。
思い出の土地
サムエルはエフライム族であるのでシロという土地がよく出てくる。エフライム族の嗣業であるシロ。エルサレムが建設される前には宗教的また政治的中心地として栄えたところであった。シロに並ぶ有名な土地にラマがあるがサムエルは預言者の学校をここに建てた。そしてラマ同様サムエルが預言者の学校を建てたのがギルガルであった。
ギルガル
ギルガルという地名は聖書に何度も出てくるが、調べているとその場所については確定的なことは分かっていないとのことだった。ヨシュア率いるイスラエル民族がヨルダン川渡る際、40年前と同じことが起こった。ヨルダン川の水が分かれて民が川の中を歩いて渡ることができた。そして約束の地に入ってすぐにしたのが記念碑を建てること。ヨルダン川を渡ったいよいよ約束の地に入ることができたことを神様に感謝するための記念碑である。ベニヤミンに嗣業として与えられたギルガル。恐らく聖書に登場する人物にとってはそれぞれに思い出の場所と立っているのだと思う。
ギルガルは、イスラエルが約束の地で最初に天幕を張ったところであった。ヨ ルダン川を奇跡的に渡ったことを記念するために、ヨシュアが神の命令によって 12の石を立てたのはここであった。カデシでの罪と、荒野の放浪の後で、彼ら はここで最初の過越の祭りを行った。ここで、マナがやんだ。ここで、主の軍勢 の将が、イスラエルの軍勢の指揮官として、ご自分を現わされた。彼らは、この 場所から、エリコとアイの攻略に出かけた。ここでアカンは、彼の罪の罰を受け た。また、イスラエル人は、ここでギベオン人と同盟を結び、神の勧告を仰がな かった罰を受けた。多くのこうした感動的思い出につながる平原の上に、サムエ ルとサウルは立ったのである。王を迎える歓呼の声が静まった時に、老預言者は 国家の指導者として、告別の言葉を語った。
人類のあけぼの電子版 p538 イスラエル最初の王サウル
思い出の場所はその時の出来事や心境を思い出させてくれる。途方にくれる時、人生を一度立ち止まりたくなる時に思い出の場所は何かを教えてくれる。そしてその場所で出会った神様のことを思い出させてくれる。
「総理、あなたの判断はいつも正しかった」安倍元総理国葬 “友人代表”菅義偉前総理の追悼の辞|TBS NEWS DIG
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