主とともに暗闇を

新しい年を前にして

2022年は安息日に始まり安息日で終わる祝福された一年だった。間も無く終わる2022年を振り返り不思議な方法で祈りに応えてくださった神様の愛を感謝のうちに思い出すことができる。1年前の写真を見ると、年末は両親と自分の3人で過ごした。その後母は帯状疱疹や骨折、脳梗塞やコロナ、そして鼠径ヘルニアと原因不明の高熱を経験することとなった。長男の中学卒業で家族が2年ぶりに2022年のことだった。父と二人で迎える新年、新しい年を前にして少々の不安と恐れがある。このまま前進して行けるのだろうかと不安になる。

行く道を知りません

12月30日、昨日帰省する前に退職願を提出した。いままでずっと悩んできたのだがなかなか結論が出ずにいた。今も結論が出たわけではないが、祈り求めていた「時」が来たように感じたので退職を決意した。規定で3ヶ月前に退職願を提出することになっているので実際には3月末までは勤務することになる。退職は、出勤初日から決めていた。自分が受けていた説明と違う雇用条件だった。決して悪気はないのだと思うが、雇用条件に「嘘」があったことにかなりショックを受けた。クリスチャンも人間であるが雇用条件に嘘があると一気に落ち込む。そのまま就職しないで両親のところに帰ろうかとも思った。実際には引越しが済んでいたので不承不承働くしかなかった。しかし、雇用条件のことだけが退職のきっかけになったわけではない。職場の経済状況も何となく分かるので、まともな仕事をしていない自分は経済を圧迫するだけの存在になっている。また、就職した時は聖書を通して「バビロンにいる祝福」を神様は語ってくださっていた。しかし2022年の夏過ぎから「バビロンから出でよ」という言葉が目につくようになった。

仕事を辞めてどこでどのような生活をするのかは全く決まっていない。仕事も探しているが見つからない。貯金も、就職して2年間で食いつぶしてしまった。長男の学費は毎月12万円ほど。4月からこれを支払える可能性は今の所ない。長男に詫びて転校も検討させてもらうしかないかもしれない。本当に先が見えない状況である。先は見えないのだが、このまま今の職場にいることは決して神様の御心ではないと思っている。

父の話

昨晩から父が色々なはなしをしてくれる。記憶が曖昧だったり状況が分からない中での話ではあるが昔の話は非常に鮮明に覚えているようで、今まで何度も聴かされたはなしをまたしてくれた。何度もしてくれた話ではあるが昨晩の話は今の自分に突き刺さった。神様が父を通して語ってくれたとしか思えない話だった。

「知っている通り、お父さんは(父のこと)昔、向島(むこうじま 東京都)に住んでいたんだけど、じーちゃん(祖父)がやっていたがま口を作る仕事を手伝っていたんだ。でも終戦になって、ハンドバッグがアメリカから入るようになるとガマ口が全く売れなくなった。これからの時代はハンドバッグじゃないと生活できない、と思ったんだ。」

父は次男だが、長男が家業を継ぎたくないと出て行ってしまったので父が祖父の仕事を手伝っていた。心臓の病を抱えた祖父だったので実際には父が仕事をして両親(祖父母)と5人の子ども(兄弟)を支えるしかなかった。父は中央大学を卒業し国語の教員免許も取得した。しかし教員の給料では家族7人を養うことができないため、教員を断念した。

「当時、ハンドバッグを作れる職人は何人かはいたけど、職人になるにはそこに修行に入り5年から10年して職人として独り立ちするのが一般的だったんだ。でもそんな時間がないので、お父さんはハンドバッグを1本買って来てそれを分解して型紙を作って見よう見まねでハンドバッグを組み立ててみたんだ。そしてそれを井出さんっていう問屋さんに持って行ったら『こんなもの商品になるわけないだろ』って激怒されて投げ捨てられたんだよ。でもどうしようもないのでどこが悪いのかを教えてもらったんだよ。そしてそこを修正して新しいハンドバッグを2本作って問屋さんに持って行ったんだ。そうしたら何度も何度も見て『まだまだ下手だけど、仕方ないから仕事を分けてやるよ』と言われハンドバッグの仕事をもらえるようになったんだ。それから頑張って一家を支えるべく一生懸命働いて、弟妹を大学まで出したんだ。」

「どんなに辛くても、途方にくれることがあっても、これからどうやって行けば良いのか分からない時でも必ず神様は道を開いてくださるから諦めるなよ。そして毎日何十回も何百回も祈りなさい。」

今までせん妄で、はっきりしない父であったがこの時は全く違った。自分が小学生の頃の父親そのものだった。確かに、自分にはどうしてもやり遂げたい夢がある。しかしこれが神様のご計画と一致しているのかが分からないでいた。でも父の話を聴いて、少し前に進んでみようと思った。経済的な後ろ盾は全くないけれど、神様がいらっしゃる。

今年もこの詩で

新しい年を前にして私は行く道を知りません
しかし過去を支えてくださった神は
その哀れみで将来を明るくしてくださる
離れていれば暗く見えるものも近寄れば明るいように

 他を望まず、知らなくてもただ進みます
一人で光の中を行くよりは
主と暗闇を行きたいのです
見える道を行くよりは
信仰で主と共に歩みたいのです

 私の心は閉ざされた将来の試みにひるみます
しかし愛する主が選んでくださったものならば
悲しみません
「主がご存知なのです」とささやいて
私は涙をおしとどめるのです

 E.G.White

20221231 「わが魂よ,主をたたえよ」 安息日礼拝

 

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