良い教師の条件
世の中には非常に有名な先生がいらっしゃる。「名物教師」と言われる方である。クラーク博士はその遺した言葉で非常に有名であるが多くの世界を変えるような人を育て上げた。学習面でも有名な方は沢山いらっしゃる。この先生に習えば深いところまで理解し高度な知識を得ることができる、という先生である。東進ハイスクールの林修先生や英語の安河内先生は多くの人が知る存在である。「ドラゴン桜」の実在版とも言われている学研の竹岡先生も非常に有名である。予備校の場合は「わかりやすい授業」を展開することは勿論のこと「やる気にさせる」「落ち込んでいる生徒に勇気を与える」「入試問題を的中させる問題集を書いている」先生が「良い教師」なのだろう。
学校ではどうだろうか。昔のドラマに出てくるような金八先生も素晴らしい先生だと思う。最近で言えば「未来への10カウント」の桐沢コーチも素晴らしい先生だと思う。テレビがないのでネットで公開されているものを少し拝見した。本当に素晴らしいドラマで励まされた。教育現場では「カウンセリングマインド」という言葉がよく使われるが「受容、傾聴、共感」をもって生徒に寄り添える先生が「良い先生」になるかもしれない。
医療現場と教育現場
看護という言葉は「看」と「護」という字からできている。「看」は手と目を使うこと、手と目を使って観察することを表す。そしてそれらを用いて「護(まも)る」のが看護であるという。例外もあると思うが医療現場では患者さんが医療者に対してできるだけ分かりやすく「自分の状態を説明」する。医師や看護師も色々な方法を用いて患者さんの声にならない声を聴き取ろうとする。教育現場も同様で生徒の心の叫びを聴くのが現場スタッフの任務である。が、医療現場と少し違うのは医療現場ほど正直に自分のことを説明しない点である。心が弱り果てているのに、笑顔で「大丈夫です」と言って心の状態と正反対の表現をすることがよくある。本当に信頼できる大人なのかを試すのである。自分の全てを吐き出しても大丈夫な人か否かを見定めている。
だから教育現場では生徒の言葉ではなく心の声を聴くことがとても大切である。特に中等教育の期間は細心の注意を払ってその声を聴こうとしないと大変なことになる場合がある。
イエスキリストは・・・
いつも読んでいる本のこと。今日は「よい羊飼い」という章を読んだ。とてもたくさんの示唆を与えられた。よくイエスキリストを「羊飼い」と例えることがある。なぜなのか。
すべての動物の中で、羊は最も臆病で無力な動物の一種なので、東方の国では、羊飼はたえまなく、うむことなく、羊の群れを世話する。昔 は、今と同じように、城壁をめぐらした町の外側は安全ではなかった。 辺境をうろついている部族からの略奪者たちや、岩の間をかくれ場所にしている猛獣などが、羊の群れをあらそうとして待ち伏せていた。羊飼は、いのちがけの責任を自覚して見張った。
各時代の希望電子版 p504 良い羊飼
とても弱く目も良くない羊だから優しく、勇敢で羊のために命をかける人が羊飼いに必要な条件である。人類は非常に弱く道を見失うことが得意な生き物であるが、これをこよなく愛し正しい道に導き、命がけで助けるイエス様が羊飼いの姿に重なるためそのように例えられるのだろう。
1人1人は、あたかも救い主がその者のためだけに死なれたかのよう に、よくイエスに知られている。1人1人の悲嘆はイエスの心を動かす。 助けを求める叫びはイエスの耳に達する。イエスはすべての人をみもと に引きよせるためにおいでになった。イエスは彼らに、「わたしに従って きなさい」とお命じになる。するとみたまが彼らの心に働いて、彼らが みもとにくるように引きよせる。多くの者は引きよせられるのをこばむ。 イエスはそれがだれであるかをご存知である。イエスはまた、ご自分の 呼び声をよろこんで聞いて、羊飼であられるイエスの守りに身をゆだね ようとする者をご存知である。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わ たしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」とイエスは言わ れる(ヨハネ 10:27)。イエスは、この地上にほかにだれもいないか のように、1人1人を気づかわれる。
各時代の希望電子版p505 良い羊飼
イエス様に覚えられている。これだけで十分であるのにイエス様は自分一人しかこの地上にいなかったとしても十字架にかかって命を捨てた、というのは本当に驚くべき愛である。イエス様に目を向けて日々を歩んでいきたい。
ダニエル11(1) 解き放たれた預言
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