阪神淡路大震災

かつての自分

今から26年前になるが1995年1月17日、兵庫県南部を中心としたマグニチュード7.3,最大震度7の都市直下型の地震が発生した。今年も26年前の記憶をたどるこの時期がやって来た。自分は被災していないしその時には茨城県にある系列の中学校で働いていた。が、この出来事は自分の信仰を大きく変え、忘れられない出来事として心に刻まれている。この約1年前にとても大きな出来事があり失望に押しつぶされそうになりながら毎日を必死に生きていた時期である。もはやこれまでと大洗の海岸に車ごと突っ込んだこともあった。そのような最悪の時期だったが、別の見方をすると神という偉大な存在が自分のような岩より硬い心を持った人間を砕いた特別な1年であったとも言える。それまでの自分は「見せかけクリスチャン」「クリスチャンっぽいノンクリスチャン」であった。落ち込んでいる人を勇気付けようと「いつも祈っているよ」などと祈ってもいないのに平気で言えた。神の判断を待つ、と言い祈るが、祈りながら既に自分の方法が頭に浮かんでいる。要するに祈っているのに神様のゴーサインを待たずに全く別次元にある自分の考えに従って行動する、それがかつての自分だった。今は、「君のために祈っている」と言ったら必ず毎日時間を決めてその人のことを祈る。また神様のゴーサインが出るまでは決して行動を起こさない。人間的な考えで行動した時に、結果がどうなるかを嫌という程経験してきたからだ。このブログを始める時もかなり長い時間祈り続けた。このブログを通してやりたいことがありそのビジョンが神様の喜ばれることなのかが分からず、結局3ヶ月以上祈りながら神様のゴーサインを待った。

祈りの会

当時働いていた中学校の生徒さんたちからリクエストがあった。「毎日聖書を学び祈る会を企画したいので助けてもらえないか」とのことだった。自分にはそのような力がないことを自覚しているので牧師先生に頼んだほうが良いことを提案したが彼女たちの希望する時間帯に牧師先生は別の聖書研究会をしているとのことで私に話が回ってきたようだ。何も分からなかったが引き受けた。この聖書の学びと祈りの会が始まって2週間と経たないうちに「阪神淡路大震災」が起こった。本当に大変なことが起きたと思った。私たちの祈りの会はこの震災のために特別に祈る会に変わって言った。そしてある日、ひとりの生徒さんが「自分たちも被災地のために何かできることをしたい」と言ってきた。自分には何もできる力がないので「とにかく祈りましょう。この中の誰かにどのような方法で被災地を助けるかの方法が示されるまで祈りましょう。」と生徒を励まし祈ることに専心した。自分も自宅に戻るとこのことをひたすら祈った。数日祈ったと思うが、ある日寝る前に被災地のことを祈って寝たところ夜中に目が覚めた。いや目が覚めたような気がした。ベッドで寝ている自分の頭の右後ろに輝く光のようなものを感じた。目は閉じたままであったと思うが断片的な映像や言葉が浮かび上がってきた。まずは生徒が3つのグループに別れて地元のスーパーマーケットの駐車場で讃美歌を歌っている様子。そこに募金箱を持った生徒に対して義援金を差し出す人たちが映像となって浮かんだ。また彼らをスーパーマーケットに連れて行ったバスもそこに映し出されていた。更にいくつかの文字で示されたこともあった。そして最後に「そのほかのことは牧師に伝えた」とのメッセージが出てきた。夢のような幻のようなとても不思議な体験だった。その晩は木曜日で翌日金曜日に出勤し、恐る恐る牧師のところに近づいてみると「あ、神様から聞いている?」と牧師先生の方から声をかけてきた。「夢のような、幻のようなものでいくつかのことが示されました」と話すと「じゃ、ふたりの見たことをつなげてみよう」と授業の空き時間にその啓示の内容をつなぎ合わせて見た。

もはや自分ではない

やはり3つのスーパで義援金集めをすべく讃美歌奉仕に出かけることがメインであることは分かった。そして決行は今日、この日である。あと5時間ぐらいで全ての準備を整えなくてはならない。まず送迎用のバスは自分の叔母が同じ町で幼稚園を経営しているのでマイクロバス2台を借りることはできた。が、あと1台が無い。地元のレンタカー屋さんに相談すると「ちょうど先ほどキャンセルがあったから使っていいよ。義援金集めでしょ?料金はいいから」と言われた。何故このレンタカー屋さんは義援金集めだということを知っていたのだろう?まだこのことは校内の教員ですら全員知らないことなのに。また役場に行って募金箱を借りようとしたところ、すでに15個の募金箱が用意されていた。「何故用意してくださっていたのですか?」と聞くと担当者も分からないとのこと。ただ今朝の朝礼で上司から募金箱を15個準備するようにとだけ言われたそうだ。3箇所のスーパーマーケットに電話をかけて許可を得ようとした。この電話は自分がしたのではなく校長先生、教頭先生がしてくださったが3箇所とも「話は聞いていますよ。大丈夫です。18時から駐車場の一部をクローズにしますから」との返事だったという。校長先生と教頭先生は私と牧師が事前に連絡を入れたと思ったらしい。が、そのようなことは一切していない。もっともっと不思議なことがあった。当時は電話回線を使って電子メールをするのがやっとという時代である。インターネットは一部の人しか使っておらず一般人の情報はやはりテレビかラジオから得る時代。この義援金集めが町内3箇所のスーパーで行われていることをどのように多くの人に知っていただいたら良いだろうと考えていた。が、その手段がなかった。結局告知は諦めた。18時に生徒が大挙して出かけた。スーパーについてみると私たちの到着を待っている人たちがいることに気づいた。告知はしていないのにどのように知ったのか不思議だった。その中で募金をしてくださる方が口々に「ラジオで聞いて急いできたのよ。間に合ってよかった。」とおっしゃっていた。誰がラジオで告知をしてくださったのだろう。もちろん学校関係者は誰もしていない。行くところ行くところ全て準備万端、全てが備えられていた。「これはもはや自分がしていることでは無い。神様がやっていることだ」と悟った。不思議なことが多すぎて理解がついて来なかったけど、神様が一緒にいることだけは分かった。

その後

この日、1 時間弱の時間でおよそ40万円ほどの義援金が集まった。他で集められた義援金と合わせて50万円ほどを茨城新聞社を通して被災地に送った。その時の新聞を今でも大切にとっている。この時の活動が発端となり、保護者で大阪・東京のトラックドライバーの方がいらっしゃるがこの方の申し出により東京で空になった荷台に救援物資を積んで運んでくださることになった。集荷が水曜日。毎週火曜日までに必要リストを被災地からいただきそれに合わせて物資の提供を募った。洗濯機や冷蔵庫、オムツが多かったが結構目についたのは自転車だった。

自分はこの経験で神様が働かれるとどのようなことが起こるのかを目の当たりにした。それ以降祈りに対する考え方や姿勢が全く変わった。祈っていないことを祈っていますなどと神様を冒涜するようなことは決して言わない、神様の許しがあるまでは自分の浅知恵で決して行動を起こさないと心に決めた。特に人のことに関してはより真剣に祈り慎重に判断するようになった。神様を認め無い方からすればこれまでの文は「なんだ?こいついかれてるんじゃないか」と思われるかもしれない。そうかもしれない。が、神様を信じると自然とこうなって行くような気がする。

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