大いなる人

祈祷会で

昨日、祈祷会で院長先生にあることを言われた。送迎の仕事も良いけれど今後五所川原に伝道拠点となるお店を出店するのでそこを任せたい、とのことだった。実はこの日の午前中に自分が用度課の仕事をする様になることをほのめかされた。小さな医院なので用度課という部門がない。ある部門の人が用度の仕事をかねてしているだけである。それを今後独立させて自分にやらせたいというのだ。1日に2つのビジョンを語られ困惑しているが五所川原の出店の話は少し積極的になれない。内情を話してしまうと問題があるが、実は院長先生は全てを自分の所有と考えているので伝道目的であろうと医療目的であろうと同じ財布から支出してしあうのである。今まで組織の中にいた自分にとってはこれが凄く慣れず未だに悩んでいる。病院が黒字経営ならばまだ良いが病院以外の食品部門や老健施設、介護サービスなど全てが深刻な赤字経営なのだ。赤字が解消されないまま1億近いMRIを入れようとしているし、自分が他の部門に行くことに伴い人員を増やさなくてはならないのである。神様がこの深刻な経済状態の中で後先考えずに伝道目的という名目で前進させるのだろうか。院長のことは尊敬しているが、院長の向こう見ずなアイデアとしか思えない。伝道には祈りとビジョンがなくてはならない。また現実的な資金面も裏付けが必要になる。組織的に動くのであれば教会の理事会や事務会の了承が必要である。もちろんそんな了承など得ていない。院長の独断だから。しかもこれに従わないとクビになる。自分はもっと祈って神様からのゴーサインを印で確認してからスタートしたい方なので今回の話を受け入れるのは難しい。辞めろ、クビだと言われるかもしれないが仕方ない。

義母のこと

自分は義母が大好きである。今は病の床に臥す日々を送っているが数年前までは非常に元気で明るくおしゃべりが上手だった。この母は天国で考えられないほどの祝福を受けると信じている。実は、この母が若い頃に信仰を持ち教会に通う様になった。子どもたちをはじめ親戚や自分の母親にも伝道をして多くの人をイエス様に導いた。残念ながら母が最も福音を伝えたかった義父がまだイエス様を受け入れていない。天国で受ける祝福は、天国に何人の人を連れてきたかで計られる気がしている。だから母は最も大いなる祝福を受けるはずなのだ。母のことを思うとイエス様のことを伝える働きがどれほど大切なことなのかがよく分かる。今日の聖書研究で読んでいた書物に次の様なことが書いてあった。

もし選ばれた主の使命者が、すべての障害物が取り除かれるまで待つならば、多くの者は散らされた羊を捜しに行くことはないだろう。サタンは彼らに義務を果たさせまいとして、多くの障害物をおくことだろう。しかし、彼らは、神の働きに彼らを召された神を信頼して、信仰をもって出ていかなければならない。そうすれば、神は彼らの幸福となり、神の栄光となるものであるかぎり、彼らの前に道を開いてくださる。大いなる教師であり模範であられるイエスは、枕する所がなかった。彼の生涯は、苦労と悲しみと苦難の一生であった。そして、彼はわれわれのためにご自身をお与えになった。キリストに代わって、神の和解を受けるように人々に願うもの、また、キリストと共に栄光のうちに支配することを望む者は、この地上で彼の苦難にあずかることを予期しなければならない。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであ
ろう」(詩篇 126:5、6 )。
エレン・ホワイト 初代文集 電子版P81

 

クルマではなくノリモノにの乗る 2021年5月29日 鈴木聖二

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