神様のお導き

動けなくなる時

日、火、木は遠方の透析患者さんを迎えに行くため通常は7時に出発。今日もそのつもりで7時に病院を出たが殊の外空いていた。普段渋滞する道もすんなり通れたので予定よりも10分早くつくことができ近くのコンビニで時間調整。そこで理解した。今日は旗日だということを。そうか、巷はゴールデンウィークだ。こちらは日曜診療をしているクリニックだからゴールデンウィークなど無縁である。その後も外来や透析の患者さんを病院にお連れした。送迎の運行も時間通りに進み人数は多かったがなかなかスムーズに仕事ができた。車の中でも祈りながら運転し神様をとても近くに感じながら仕事ができた。感謝すべきことが沢山あった1日だった。仕事が終わる直前まで本当に晴れ晴れとした気持ちで過ごせた。が、急に暗雲が心を騒がせた。暗雲と言ってはいけない。iPhoneの「写真」アプリである。このアプリが過去の写真をハイライトで表示してくれるのである。今日は何故か次男の写真ばかりが20枚ほど表示された。全て別れる半年前に撮られたものだった。次男と別れたのが2020年3月6日。何となくそのような日が来るような予感がしていたので、その数ヶ月前から次男とは色々なところに出かけた。船に乗りたいというので船にも乗った。お気に入りの滝まで出かけた。馬に会いたいというので牧場にも行った。空港の公園で長い滑り台で何度も滑った。探検をするために山にも出かけた。それぞれの場所で撮った写真が急に表示されたのである。これらの写真を見たら、急に動けなくなってしまった。この時の思い出に自分自身が持って行かれてしまい何もできなくなってしまった。仕事が終わっているにも拘らず退勤すらできなくなってしまった。ただただ子どもに会いたい、そのような気持ちで心がいっぱいになってしまい涙がこぼれた。

心の中に完全に癒えない傷のかさぶたのようなものがある。それが今回のようなきっかけでかさぶたが剥がれてしまう。そしてまたその傷口から血が出るのである。痛いから、心が痛くなるから「神様助けてください」と祈る。このような試練を通過しなくてはならない理由は何だろう。ひとつは、神様が祈りに導いているから…かもしれない。もうひとつは他者の心の痛みを理解しそれを察知できるため。このふたつぐらいしか思いつかない。神様にはもっともっと深い理由があるのかも知れない。

ひとつのドアが閉まるの別のドアが

そんな悶々とした気持ちで何とか家に戻った。悲しい気持ちを押し殺して直ぐに聖書の勉強をした。黙示録の勉強ももう少しで終わりになってしまう。聖書の勉強を終えて少しぼーっとしていたら同級生からメールが来た。時々メールをくれる友人だが、讃美歌を一緒に歌おうとのお誘いであった。彼は不思議と自分が落ち込んでいるときに讃美歌を歌おうと誘ってくれる。同級生4人で組んでいるリモートコーテット(カルテット)でまた讃美歌動画を作ろうという企画に誘ってくれた。落ち込んでひとつのドアが閉まると別の祝福のドアが開かれ自分を支えてくれる。本当に嬉しい神様のご配慮である。

自分が抱えている問題について解決があるのか、この長いトンネルがいつ終わるのか不安になることが良くある。が、神様がいらっしゃるから必ず今回のトンネルも出口があり祝福の道に変えていただけると信じている。

辛くなった時、苦しくなって生きる意味を見失いそうになるときに観る讃美歌の動画がある。少し古い映像だがこのグループには自分の親しい友人もいるのでこのグループの讃美が好きだ。Golden Angels – The Missionと検索してみるといくつも違うメンバーの、また違うアレンジの讃美を聞くことができる。是非視聴していただきたい。

Golden Angels – The Mission

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