ハレルヤ!

ヒゼキヤの祈り

今日はとんでもない事が起こった。今でも興奮している。興奮しているのでこの状況が文章で上手に伝わるかが心配であるができれば今日の投稿の前に昨日の投稿を読んでいただけるとありがたい。

水曜日から卒業生が来ていて良いお交わりをさせていただいていた。来ていて、と言っても自分の家に来ているわけではない。自分の部屋の下にきているのである。自分が借りているアパートはその卒業生のお母さんが経営するもので職場がこのアパートを借り上げている。今日はその卒業生が茅ヶ崎に帰るので最後のご挨拶に行っていた。その後卒業生ご家族を送り出し自分は「城ヶ倉大橋」に景色を見るために出かけた。全長360m、中心部の最高点では122mの高さがある。アーチ支間長が255mと日本一の長さを誇る橋である。下を見ると気が遠くなりそうな高さがある。そのため自殺の名所でもあるという。地元民は夜間にこの橋を通らないというが本当だろうか。この橋を何度か往復してLeicaで何枚も写真を撮った。遠くに岩木山もうっすらと見え自然界の中に抱かれている実感があった。何度かLINEの着信を知らせる音は鳴っていたが自然を満喫していたので少し無視していた。しばらくしてやっとLINEを開いてみた。妻からだった。軽いジャブ程度の攻撃的な文章はあったものの殆どは長男の報告であった。実はiPhoneでLINEを確認したのではなくApple Watchで確認しただけだったので文章しか読んでいなかった。少ししてから気にな理、今度はiPhoneで確認した。文章はすでに読んでいたのでなんでもなかったがそこに2人の息子の写真が添付されていることに気づき絶句した。そして心の底から感動と喜びで涙が溢れてきた。不幸なことに向こうから若いカップルがやってきた。こちらは涙を抑える事ができなくなっている。場所は自殺の名所である。彼らはずっと自分のことを凝視して何やら小声で喋っている。絶対に勘違いされている。でもそんなことどうでもよかった。とにかく震えるぐらい感動しているのだ。

「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。 そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。」

列王記下 20:1-11 口語訳

昨日の祈り

昨日、長男がおよそ1ヶ月ぶりに学校に戻った。それが自分の祈りで神様が御手を動かしてくださったのか、あるいは祈りとは関係なくこれが神様のタイミングだったのかよく分からなかった。分からないままで良いのだが、自分の祈りが神様に届いているのかを常々知りたいと思っていた。だから、昨日この様に祈っていた。「もしも長男が学校に戻れた事が、私の祈りに対する神様の応答であればそれを示してください。妻はここ1年ぐらい子たちの写真を送ってくれません。ですから、今回のことが自分の祈りを神様が聞いてくださった結果でしたら妻から子どもたち2人の写真を送ってください」と。妻から写真が送られてくる可能性は極めて低い。少なくともこの1年はその様なことがなかったので当然送ってこないだろうと思っていた。ヒゼキヤ王も自分の寿命が伸ばされることに対する神様からの印を求めて太陽が10度後退することを印として求めた。そんなこと怒らないだろう、ということを印として求めたのである。しかし実際に太陽は10度、即ち40分後退したのである。これについて現在の科学が証明しているのでいつかそのことについて触れられたら良いと思っている。ヒゼキヤほどではないが、しかし自分にとっても絶対に起こらないであろう出来事の1つである妻から写真が送られてくることを印として求めたのである。そして実際にその写真が送られてきた。

小さきものにも

この生きる価値もない様な惨めで不誠実で神様に背を向けてばかりいる自分の祈りにも神様は誠実に答えてくださった。そして自分の祈りを神様がいつも聞いてくださっていることを明確に示してくださった。ありがたい。勿体無い。とんでもないことである。宇宙の創始者であり支配者である方が罪に汚れた価値のないどん底中のどん底人間に誠実に対応してくださったのである。奇しくも今日は自分のバプテスマ記念日である。今から44年前に自分はバプテスマを受けた。いい加減な信仰しか持っていない極めて不誠実な私を神様は真剣に導き助け支えてくださった。それが本当にありがたく、申し訳ないのである。

金曜日の日没を迎え安息日に入った。神様のことだけを考えて過ごせる日になることを心から願うものである。そしてこれからも神様が聞いてくださっているので自分の心の内を大胆に祈っていきたいと思う。主よ、心から感謝いたします。

The Lord is coming

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