ヒゼキヤの祈り

列王記

今日の聖書通読は列王記下18章から最後までを読み歴代誌上2章まで進んだ。列王記が面白い。これまでの2回の通読はただ読むだけだったが、今回はきちんとノートをとり勉強もしている。3回目ということも手伝って少しずつではあるが内容が頭に残るようになってきた。前後関係を少しだけでも記憶しているから面白い。イスラエルとユダの国を交互に縫うように歴史が展開していくので余計に面白い。在位期間が55年と長いユダ王国の「マナセ」がいれば3ヶ月と短い王もいる。イスラエル王国には1ヶ月のシャルムも存在する。北は謀反と戦いの連続なのに対して南は病気や寿命を全うする王が多い。在位期間には色々なことをして色々な思いがあったと思うが、聖書では良いか悪いかでしか表現されていない。「主の目にかなうことを行なった」「主の目に悪を行った」などどちらかである。時々、「悪かったけど父ほどではなかった」など中庸の表現があるところも面白い。神様の御名の回復に生涯を捧げた王様をみると、全権を手中におさめながら、私利私欲に心奪われないところは本当に素晴らしいと思う。

ヒゼキヤ

前王アハズとアビの間に生まれた子、ヒゼキヤが25歳という若さで王となりエルサレムで王位についた。若い、と言っても12歳で王位に就いたマナセ、更に8歳で王位に就いたヨシヤを考えると妥当な年齢なのかもしれない。それにしても8歳といえばうちの次男の歳である。ヒゼキヤの宗教改革は現在でも大いに讃えられる素晴らし功績だが、彼の29年間の王としての歩みはそれなりに苦境に立たされることも多かったと想像する。アッシリヤのセンナケリブには貢物を送って取り入って何とかエルサレムを守ろうとした。それが神様の方法だったかは分からないが、ヒゼキヤの国と国民何よりも神様の栄光を守りたいという思いは伝わってくる。

そんなヒゼキヤも病に倒れる。その病について預言者イザヤが神様からの言葉を伝えに来る。

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、 「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。
列王記下20:1-3

イザヤ自身も同じ場面を著している。

そのころヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところに来て言った、「主はこう仰せられます、あなたの家を整えておきなさい。あなたは死にます、生きながらえることはできません」。 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、 「ああ主よ、願わくは、わたしが真実と真心とをもって、み前に歩み、あなたの目にかなう事を行ったのを覚えてください」。そしてヒゼキヤはひどく泣いた。
イザヤ38:1-3

ヒゼキヤは何故泣いたのだろうか。死を宣告されたための失意の涙だっただろうか。そうかもしれない。もしかしたら彼にはまだやり残したことがあり志半ばで死んでいく無念のために涙を流したのかもしれない。真相は分からないが、少しだけヒントが書かれている。

その時主の言葉がイザヤに臨んで言った、 「行って、ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます、「わたしはあなたの祈を聞いた。あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたのよわいを十五年増そう。 わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、この町を守ろう」。
イザヤ38:4-6

神様はヒゼキヤの涙と祈りを通してヒゼキヤを癒し更に15年の命を与えると約束したが、同時にエルサレムをアッシリヤの手から救い出すとも約束してくださった。ならば、ヒゼキヤの祈りと涙は自分の病や寿命のことではなく、エルサレムの将来に向けられていたのかもしれない。素晴らしい執り成しの祈りであり、その祈りは瞬時に聞かれた。

人のために執り成しの祈りをささげることはできるかもしれない。しかし、教会のためましてや地元のために執り成しの祈りをささげることは自分には少しハードルが高い。

ヒゼキヤの祈りから執り成しの祈りについて深く考えさせられた。

残りの民と祈り(2022/1/15)

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