聖霊の働き

祈祷会

今日はとても嫌なことがありショックを受けていた。普通の人なら何でもなく流せることなのかもしれないがずっと引きずってしまうところを見るとやはり自分はまだ病気なのかな、と思わされた。同じ送迎のドライバーが先週事故で怪我をしてしまった。自転車通勤の途中で、スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず田んぼに突っ込んでしまった。幸い骨折はなかったが打撲と擦傷がひどく職場である病院に入院することになった。全治1週間とのこと。そのため、ドライバーが一人いない状態で、おまけに今日はもう一人が休みだったので透析患者さんを自分一人で送迎することになっていた。時間がかち合うことがあるのでかなり緊張しながらミスなく仕事をしようと思っていたが、朝の迎えで自分を落ち込ませることが起きた。その方はGさんと言い、関連のサ高住に入居している。半年ほど前、自分がこの仕事を始めて間もなくGさんを迎えに行く途中で事故渋滞にひっかかり予定の時間を15分ほど遅れて迎えに行ったことがあった。その時は烈火のごとく怒り狂っており非常に暴力的だった。80を過ぎた高齢者だが元トラックドライバーということで凄むところがある。それ以来Gさんは自分のことを心の底から嫌っているようだった。自分はそれに気付いていたが上司からの命令であれば当然嫌ですとは言わない。久しぶりにこのGさんを迎えに行ったのだが、体が御不自由なので車に乗るときも介助が必要になる。自分が後ろから支えるような姿勢をとった瞬間(津軽弁なのでよくわからないが、恐らく)「馬鹿野郎、触るな」と叩かれた。その後も「早くドアを閉めろ」非常に暴力的な言葉を連発していた。自分は今まで教育現場にいたので、いきなり怒り出す人に慣れていない。自分も短気だが人が怒っている様子にはドキドキしてしまう。以前にも書いたが、津軽に来て短気な人にたくさん会った。自分にこの仕事を教えてくれた人も非常に短気で、言葉が通じないこともありとにかく叩くことが多かった。他の患者さんにも3分が待てずに「何していたんだ、遅いじゃないか」と怒り出す人が数人いる。

自分は親からも殆ど叩かれたことが無いし暴言のような言葉に慣れていない。どんなにイライラしても必ず相手の言い分を聞く、という職場に長年いたのでこういう対応にショックを受けてしまう。Gさんのことでずっと落ち込んでいたが、気持ちがなかなか回復せず結局今日の仕事が終わるまで引きずってしまった。

今日は水曜日で祈祷会だが、人が少し怖くなってしまったので欠席しようと思った。家に戻って聖書研究や聖書通読をしてからシャワーを浴びた。しばらく祈っていたが、「すぐに祈祷会に行きなさい」という促しを感じた。

祈祷会

今日はどうしても人に会いたく無い、などと女子中学生のようなことを考えていたが強引に押し出そうとする力を感じた。「神様、もう時間が過ぎています。今から行くよりも、自宅でゆっくり神様と交わりながら祈りたいので今日は祈祷会を欠席します」と祈っても祈祷会に行くようにとの促しは強まるばかりだった。仕方がないので不承不承支度をして出かけた。

教会に着くといつものメンバーの他に初めてお見かけする方が一人いらっしゃった。いつも士師記を読んで祈りの時間に入るのだが、今日はこのYさんの聖書や神様に関する質問時間になっている様子だった。Yさんは数年前に当院のスタッフに出会い聖書を読むようになった。また自分たちの教会が独自に発行しているキリスト教書(主にエレン・G・ホワイトという人が幻を受けて書いた書物)も多く読んでいる方だった。Yさんはたまたま教会に電気がついているので立ち寄ったのだとか。その後もYさんの質問コーナは続いたが気づくと自分に対して集中砲火のように質問して来た。他教派の解釈と自分たちの教会の解釈の違いなども含めてできる限りの質問にお答えした。このYさんがとにかく聖書に通じている方で、こちらが舌を巻くほどだった。

Yさんは、個人で聖書を読むことは好きだが教会に行けば煩わしい人間関係もあるので行きたくないと仰っていた。そのような自分に聖霊の神様は助け手となってくれるのか、と切実な質問をされた。キリストの十字架の贖いについても質問され、罪祭が屠られ血が祭壇の四隅に塗られ脂肪が焼かれた後の聖所に於ける祭司の働きを説明した。祭司の働きと贖いについてはもっともっとアドバンスコースだと思うのだがYさんはこの辺りにも精通している。

神様は今日Yさんと出会うことを計画し祈祷会に行くように強く促してくださったのだとやっとわかった。

聖霊の導き

聖書には知識が豊富で神様に近い存在について紹介している。ニコデモ、アリマタヤのヨセフなどはすぐに思いつく人物だと思う。Yさんとお話しさせて頂いた時に、どこかニコデモに重なるような気がした。神様は聖霊様を通してこのYさんに強く働きかけていらっしゃることがよく分かった。信仰の薄い自分にもそれが分かった。最後にYさんと共に祈って祈祷会を終えた。普段よりも大幅に時間が過ぎてしまったが神様が直接関与してくださった特別な時間を過ごすことができた。Gさんのことでひどく落ち込み、この仕事を辞めようと思ったが一日の終わりにはYさんを通して素晴らしい祝福を与えてくださった。

2021年9月11日 主に用いられるとき
メッセージは13:40から

キリスト教

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