聖霊の働き

人を通して働かれる神

今日は安息日で礼拝に出席するため教会に行った。教会が始まる前にお一人の方をお迎えするため一度教会には開始の1時間前に到着した。弘前にあるご自宅を訪問してその方を車にお乗せして教会に戻った。こんなことでも神様の役に立てているのであれば本当に感謝である。職場の院長先生と出会ってから神様のために何かできることはないかと自分なりに考えるようになった。礼拝の時間になり、開会の祈りがささげられた。その中で「これらのことを神様を信頼してお祈りしましたので必ず聞かれることを信じ心から感謝いたします」と説教者が祈った。その途端に急に涙が溢れてきた。何故か理由は分からないが涙が止まらなくなった。聖霊様の働きなのだろうか。心から神様を信じている人の祈りに触れたからだろうか。とても暖かい気持ちになれた。自分は日頃「聖霊の神様をこの罪深い私にも与えてください」と祈り続けている。しかし聖霊様が与えられたと言う確信がない。生活にもこれといった変化があるわけでもなくただ毎日聖霊様を求める祈りは続けている。今日の礼拝での経験は聖霊様が自分にそのご臨在を示してくださった出来事だったのだろうか。もしもそうであるならば嬉しいことであるしこれからも絶えず聖霊様で自分の心を満たしていただきたい。礼拝を終えて自宅に戻り昼食をとる前にある教会のオンライン礼拝を視聴した。今日は自分の中高時代の同級生が説教者としてメッセージを語っていた。彼の話すメッセージにも何故かまた涙が流れてきた。淡々と語る説教であったが何故か感動をおぼえた。午後から色々な教会の礼拝メッセージを探しているときに元同僚かつ友人から電話があった。久しぶりに話す。いつもメールで近況を報告し合いながらも私のことを心配してくれる友人。今日も自分のことを心配して電話をくれた。自分の周りにはたくさんの問題が山積しそれらに押しつぶされそうになるが、しかし神様は自分の周りの人を通して自分を励まし、支え、また聖霊様のご臨在を意識させてくださる。まさしく人を通して働かれる神様である。

子どもからの電話

夕方、寮で生活する中学3年生の長男から電話があった。土曜日の午後や早朝に電話をかけてくることが多いのだが調子が悪かったりうまくいかないことがあるとその電話も頻回になる。今日は比較的元気だったが寮長としての重責に少し疲れている様子であった。大学のことを色々と考えているようで進学の話などをしていた。その中で小学3年生の次男の話題になった。長男が1週間前に学校の寮に戻ったがその直前に、お兄ちゃんが学校に帰ってしまうといって次男が隠れて泣いていたと聞いた。何かその話を聞いただけで鼻の奥がツーンとして涙が溢れてきた。まだまだ子どもだと思っていた次男もやはりお兄ちゃんがいなくなることは寂しいし、お兄ちゃんも休み中はかなり弟と遊んでくれていた様子が伝わってきた。みんな人と人とが繋がって生きていることを感じさせられた。夜には母から電話があった。昨日、少しでも元気な様子を知らせたく弘前城の観光センターからりんごジュースの詰め合わせを送った。それがもう着いたようでそのお礼だった。いつものように長々と同じ内容を繰り返す電話だったがそれでも母の一言一言が心に響いてくる。もっと自分自身のことを考えて欲しいのに、考えていることは私のこと。心配しているのは私のことだけである。情けないことであるが、本当にありがたい。早く家族みんなで生活しなさい、と何度も言われた。毎回のことである。それができるならそうしたい。しかしそのような状況ではない。離婚届が送られ妻には家庭を回復する意思などは全くないのである。しかし母から何度も同じことを言われていると、そういうチャンスがあるかもしれないと思ってしまう。前述の牧師先生のように、自分にもっと強い信仰があるならば家庭の回復を祈り「このことを祈りましたので必ず神様がそのようにしてくださることを信じて感謝します」と祈れるのだが。残念ながらそのような信仰は持ち合わせていない。今日は安息日であったが色々な人から多くの祝福をいただくことができた1日であった。明日からの仕事を考えると気が重いが、それでも神様が共にいてくださることは確かである。もう一度頑張ってみよう。今日の1日と自分の周りの大切な方々に心からの感謝をしたい。

今日牧師先生の興味深いお話を聞いた。是非ご視聴いただきたい

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