数学の宿題多すぎない?
ネットの新聞記事を読んでいる時に共感できるものを見つけた。名城大教職センター教授の竹内英人さん(54)の呼び掛けで9月に開かれたオンライントークイベント「数学の宿題多すぎない?」である。
実は長男もかなり前から数学の宿題が多く閉口していた。父親に対しても愚痴をこぼすことが多くなった。学力的には今ひとつの長男なので宿題の多さが、自分が計画した学習方法の妨げとなっている。「自分が計画した」のではなく父親が組んだプログラムとその方法を実践しようとしているのだ。子どもには「それくらいのことが耐えられないと理系の大学進学は難しいし、何より入学してからが大変になる」と言ってはいるが、話を聞くと確かに大変な状況である。
教員時代を思い出して
自分はどちらかというと宿題をあまり出さない教員だった。しかし、夜間の補習(全寮制の学校なので夜間も生徒の学習指導ができる)には力を入れていた。また学習方法を指導することにも力を入れていた。言い方を換えると「本を読み聞かせる」のではなく「本の読み方を教える」指導にこだわっていた。自分が何かに興味を持った時、あるいは必要に迫られた時に学習方法が分からなければ困ってしまう。だからその方法を教え、成功体験をさせて自信を持たせるのが教員時代に得意としていた方法だった。
宿題が多い理由
そんなことは無いと思う。いや、決してあってはならないのだが・・・。宿題を多く出すことで生徒に学力をつけることが「教員本人に対する評価に繋がる」からやっているわけではないだろう。そんなことは決して無いと願いたい。もしかすると宿題自体が多いことを望む親も多いので保護者に対するアピールではあるまい。
これから色々な分野でAIが活躍し、いずれ人間がAIに雇ってもらう時代が来るという。AIが得意とする分野がいくつかあるがその中でも「教育分野」は得意中の得意のようだ。実際規模や質は違えど以前から教育現場にはAIが入っている。しかし、一人一人の児童生徒と対話し小さな変化をも逃さず的確な「本が読める力」を培う教育は熟練教師にしかできない気がしている。逆に宿題を多く出す方法で「学力だけをつける」のであればAIにもできる。というかAIの方が得意かもしれない。
「数学」を通して「人を育てる」、「理科」を通して「人を育てる」。あくまでも教員は「学力」を育てているのではなく「人」を育てていることを忘れて欲しく無い。
教育現場を羨ましく思う老いぼれ教師のやっかみか?
2022年11月26日 礼拝「たといそうでなくとも」藤田 佳大 牧師
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