主よ、いつまでですか

詩篇13篇

 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌 主よ、
いつまでなのですか。
とこしえにわたしをお忘れになるのですか。
いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。
いつまで、わたしは魂に痛みを負い、
ひねもす心に悲しみをいだかなければならないのですか。
いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。
わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、
わたしの目を明らかにしてください。
さもないと、わたしは死の眠りに陥り、
わたしの敵は「わたしは敵に勝った」と言い、
わたしのあだは、
わたしの動かされることによって喜ぶでしょう。
しかしわたしはあなたのいつくしみに信頼し、
わたしの心はあなたの救を喜びます。
主は豊かにわたしをあしらわれたゆえ、
わたしは主にむかって歌います。

How long wilt thou forget me,
O LORD?
for ever? how long wilt thou hide thy face from me?
 How long shall I take counsel in my soul,
having sorrow in my heart daily?
how long shall mine enemy be exalted over me? 
Consider and hear me, O LORD my God:
lighten mine eyes, lest I sleep the sleep of death; 
Lest mine enemy say,
I have prevailed against him;
and those that trouble me rejoice when I am moved.
But I have trusted in thy mercy;
my heart shall rejoice in thy salvation. 
I will sing unto the LORD,
because he hath dealt bountifully with me.

昔のこと

今から6,7年前のことだったと思う。ずっと会っていない娘が急にメールをくれてFace Timeで話したいと連絡してきた。ずっと会っていないので顔を見ることのできる嬉しさもあり快諾した。すぐに娘から連絡があった。内容は授業参観に備えて何か理科の実験のような遊びを紹介して欲しいとのことだった。対象が幼稚園の年少さんと言うことなので紙で作るブーメランはどうかと提案してみた。作るのは簡単だが揚力を理解しないとこのブーメランが飛ぶ理由はなかなか説明できない。娘もブーメランに興味を持ったようでそれにすると言っていた。保護者用に解説の資料、揚力の説明を簡単に説明したものを用意してあげ娘に送ってあげた。授業参観は殊の外好評だったようですぐにお礼の連絡があった。が、なんとなく話したいことはそれでは無いような気がしたので「仕事で悩んでいるの?」と聞くと堰を切ったようにいろいろなことを教えてくれた。上司との関係で本当に疲れ切っていることがよく理解できた。自分を守るためにも校長先生、園長先生に相談して配置換えをしてもらうなどをお願いすること、それでも変わらなければ休職や退職を考え自分を守ることを最優先に考えることを話した。結局娘はそれから2年間頑張ったが職場の環境が変わらなかったため退職した。米国の幼稚園だったので(上司を含む全てのスタッフは日本人)仕事を辞めて帰国した。あの頃は娘のためにとアドバイスしたが娘の本当の苦しみには気づけていなかった気がする。今は自分が上司との関係で悩み続けている。今日は休みだったが朝からその老害上司から電話があった。なぜ出勤しないのかと言う内容だった。今日は休みだと伝えたがそんなことは聞いていないと色々と文句を言われた。文句を言われてまで休みたくなかったので、今から出勤する旨を伝えると今日はもういいと一方的に電話を切ってしまった。こう言う職場環境で働くのが初めてだったので本当にやめたい気持ちでいっぱいである。あの時の娘も同じように苦しんでいたのだと思うと、何故もっと親身になれなかったのか、当たり前のアドバイスを偉そうにするだけにとどまってしまったのかと後悔している。

いつまで

前述の聖書の言葉はダビデの祈りであるがダニエルも同じような祈りを捧げている。いつまでなのか。この苦しみが続くのはいつまでなのか。神様はどこに行ってしまったのか。神様が御顔を隠されるのはいつまでなのか。毎日それを問う祈りを続けているがそれにすら神様は答えてくださらない。心から平安に満たされるとき、全ての問題が解決して心の底から喜びを感じられる時が本当に来るのか。来るとしたらそれはいつなのか。神様が黙しておられることに対して、一刻も早く御手を動かしてくださいと願ってしまう。これが今まで自分がしてきたことに対する刑罰、懲罰であるなら仕方ないと諦めもつく。しかし神様の御性質からしてそのようなことをなさる神様ではないはず。なら何故なのか。疑問が次々と起こってくる。しかしもう一方で疑問や不信感を持ちながらも、聖書の勉強をしたり祈ることで何ものにも変えがたい平安が与えられることも事実である。

Amazing Grace

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