イエスキリストの人性

サタンの後悔とその後

エレンホワイトの書いた「初代文集」という書物を毎日読んで気になったところをメモするようにしている。毎日1章ずつ読んでいるので読み進むペースは遅いが「そうだったのか」と納得するところが随所にある。先日読んでいたところに非常に面白いというか意外だった文章が書かれていた。

サタンと、彼と共に堕落した者たちとが、天から閉め出されたあとで、彼は、天の純潔と栄光とをみな永久に失ってしまったことに気づいて、それを悔い、また天に戻してもらいたいと望んだ。彼は、自分に適した地位、また、与えられるならどんな地位にでも喜んでつこうと思った。しかし、それはできないことであった。天を、ふたたび危機にさらしてはならなかった。もし彼が、元に戻されたならば、全天は、損なわれてしまうのであった。なぜなら、彼が罪の創始者であり、反逆の種は、彼の中にあったからである。サタンと彼に従った者たちは、共に泣いて、もう1度神の恵みにあずかりたいと願った。しかし、彼らの罪、彼らの憎しみ、彼らのしっととねたみとは、あまりに大きくて、神はそれを消し去ることがおできにならなかった。それは、その最後の罰を受けるために、残されなければならなかった。

サタンが神様の恵みを受けたいと思って戻れるものならばどのような地位にでも喜んでつくことを思った。今までは神様、そして受肉前のイエスキリストに次ぐ位にあったルシファーがそのようなことを考え、また罪を犯したことを後悔している。しかしそれはできなかった。罪の創始者となったルシファーを天に残すことは危険であり、また彼の嫉妬と妬みがあまりにも大きすぎて神様はそれを消し去ることができなかったとある。そして、ルシファーは覚悟を決めるのである。この文章の続いにはこう書いてあった。

もう2度と神の恵みにあずかる可能性がなくなったことをはっきりとサタンが知った時、彼の悪意と憎しみが現われ始めた。彼は、彼の天使たちと謀って、なおも、神の統治に反抗する計画を立てた。アダムとエバが、美しい園におかれた時に、サタンは、彼らを滅ぼす計画を立てていた。この幸福な夫婦は、神に従ってさえおれば、その幸福を奪われることはできなかった。彼らがまず神にそむき、神の恵みを失うのでなければ、サタンは、彼らに働きかけることはできなかった。であるから、彼らを不服従に導き、彼らが神の不興を招いて、サタンと彼の天使たちの直接の影響のもとに陥るような計画をたてなければならなかった。サタンが姿を変えて、人間に対する関心を示すようにすることが決定された。彼は、遠回しに神の真実性を否定し、神が言われたことが真実であるかどうかを疑わせなければならなかった。次に、彼らの好奇心を起こさせて、神のはかり知ることができない計画をせんさくさせなければならなかった。これは、サタン自身が犯した罪そのものであった。そして、神はなぜ善悪を知る木について禁令を発せられたのかを、彼らに考えさせなければならなかった。
エレン・ホワイト 初代文集 「サタンの堕落」

サタンが躍起になって今も人々を惑わし自分の方に引き込もうとしている。今日、自分は以前にも行った「城ヶ倉大橋」を再度訪れた。八甲田に行く途中に通ったのだがやはりこの橋からの景色は絶景である。それと同時にこの橋から落ちたら、あるいは飛び降りたら確実に命を落とす。橋の中心で下を見下ろした時に、ふと「ここから飛び降りればすぐに今の問題から解放される。もう悩まなくて済む。全てがこれで解決する」良いう声に引き込まれる印象を強く受けた。サタンの声だったと思う。それまでの車中で如何に自分が価値のない人間であるかをずっとサタンは示していたのでこの橋に導き自分の命をとろうとしたのだろう。神様は自分のような人間に対しても「私の目に、あなたは高価で尊い」とおっしゃってくださる。決して「無価値な人間である」とは仰らない。躍起になっているサタンの攻撃に騙されるところだった。

イエスキリストの人性

今日読んだ初代文集は「キリストの伝道」という章だった。ここにとても考えさせられることが書いてあった。よく、受肉したイエスキリストは人間なのか神なのか、という疑問がある。神である、人間である、神と人間が共存している状態である、などの意見が存在する。自分は全くの人間であると思ってきた。が、どこかに神様の性質を残している人間とも思っていた。が、今日の初代文集に大変興味深いことが書かれていた。

サタンは、誘惑を終えると、しはらくの間イエスのもとから離れた。すると、天使たちが荒野に食物を持ってきて、イエスを力づけ、天父の祝福がイエスの上におかれた。サタンは、どんなに激しく誘惑しても失敗した。しかしサタンは、イエスの伝道の期間中に、幾度も時をかえて、イエスに巧妙に働きかけることができる時を待ち望んだ。イエスを受け入れようとしない人々を扇動して、イエスを憎ませ、イエスを滅ぼさせて勝利しようという望みを依然として抱いていた。サタンは、悪天使たちと特別な相談会を開いた。彼らは神のみ子に全然勝てないので失望し、怒っていた。彼らは、もっと狡猾にもっと全力をつくしてキリストが世の救い主であるということについての不信の念を、ユダヤ国民の中にうえつけそうすることによって、イエスをご自分の使命に失望させねばならないと決めた。ユダヤ人がどんなに儀式やささげ物に忠実であっても、もし彼らの目を預言からおおい、メシヤはこの世の偉大な王として現れるはずだと信じさせることができるなら、彼らはイエスを軽べつし、排斥するようになるからであった。
エレン・ホワイト 初代文集 「キリストの伝道」

人間には各人を守る守護の天使が与えられている。そして、この初代文集にはイエスキリストにその守護天使がいたことが書かれている。神であれば天使の助けなどを必要としない。天使の助けがあるということは100%人間である証拠である。イエスキリストの経験したことは私たちクリスチャンも経験すると言われているが、イエスキリストは全くの人間としてそれらを経験したことになる。多くの奇跡を行なっているがそれはイエスキリストが天父から力をいただいて行ったことであり人間イエスに潜在的に備えられた能力ではないことが分かる。人間としてこの世の生涯を全うされたイエス様を思う時、とても近い存在に思えてくる。また神なのに人間になってしまったイエス様の裏にある壮大な「人類救済計画」を思う時に申し訳ない気持ちと感謝に満たされる。

安息日を迎えた。全くに人間としてこの地上の生涯を送られたイエス様のことを考えながらこの1日を過ごしたい。

傷跡 by 長沢崇史 カバー(ルア・ワーシップ)

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