恐れるな、わたしはあなたと共にいる

最近の祈りと嘆き

1ヶ月以上前から妻からの離婚請求が止まらない。メールや手紙、内容証明郵便などでとにかく急げと催促され続けている。本当に悲しい気持ちで毎日を過ごしている。涙を流しながらというよりも、恥ずかしながら号泣しながら叫ぶような祈りをささげている。神様の存在を信じながらも今回の件を祈り始めて1年半、状況は悪い方向にしか進んでいかないことに不信感も持ち始めている。神様に対して言葉は丁寧だが要するに悪態をついている。

「耐えられないような試練にあわせる事なく、試練と同時に逃れの道も備え」てくださると聖書で約束している神様はこれが耐えられる試練だというのだろうか?逃れの道って何?祈ったところで何かが変わる訳でもなく、状況は厳しくなる一方。

「疲れている者。重荷を負っているものはわたしのもとに来なさい」と言うけれど、どこに行けば良いのですか?祈ることが神様の元に行く事ならずっと前から来ています。でも何も助けが無いじゃないですか。」

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と言うけれど、恐れが止まらない時はどうしたら良いのですか?共にいてくれると約束していますが毎日聖霊を求めて祈ってもそれすら与えてくださらないじゃないですか。共にいるって本当ですか?

こんな感じの悪態である。応えられない祈りをささげ続ける虚しさをずっと感じていた。

昨日のこと

昨日、思うところあって1ヶ月ぶりぐらいに教習所に行ってみた。卒業検定の予約をするためである。精神的に崩れることが良くあるので教習所も一度行かなくなるとしばらく休んでしまう。今回はとても長く1ヶ月以上休んでしまった。卒業検定前の見極めをもらったのが1月だったが離婚の催促が続き教習所どころではなかった。今も状況は変わらないというか日に日に厳しさを増しているが、卒業検定も受けておかないとバイクの乗り方すら忘れてしまいそうだったので、そんな気分ではなかったが昨日卒業検定の予約をした。試験日は本日2月23日(祝日)。

そして夕方にブログの投稿をした。自分の気持ちと信仰を表現したくFoot Printsという詩をモチーフにした文章を書いた。自分の信仰を奮い立たせながら、不信仰を隠して記事を書いていた。Foot Printsをテーマにした讃美歌の動画もリンクさせたが、有名な大和カルバリーチャペルの特別讃美歌の動画を拝借した。それを何度も聴きながらずっと涙が止まらなくなってしまった。イエス様が自分を背負ってくださっているなら、それは今なのか?しかしその実感はない。でももしそんなイエス様が自分のそばにいたら本当に感動的だな、などと思いながらただただ涙を流していた。

今日のこと

昨日は讃美歌の感動と卒業検定の緊張とでなかなか眠れなかった。気づけば午前3時をすぎていた。もう一度聖書を読んでやっと眠れたが、朝7時に電話が鳴った。1年ぶりに妻からの電話だった。勿論内容は「早く離婚届にサインをして送り返せ」というもの。こちらは何も話せないまま30分色々な不満を言われて電話は切られた。今日は休日だから速達郵便以外来ないから妻からの催促も小休止かな、と思ったら思いがけず電話攻撃。怖かったけど1年ぶりに聴く妻の声はひどく懐かしかった。言われている内容は離婚の催促や子ども達は父親を嫌っている、同僚や周りの人からも嫌われる存在が何をしているのかと叱られるばかり。声の懐かしさと内容の辛辣さがアンバランスすぎて、また眠気もありうまく頭に入って来なかった。こんな調子だったので涙から始まる1日となってしまった。1時間半祈って卒業検定のコース(2つのコースのうちどちらかが今日の検定コースとなる)を覚えて「どうでもいいや」という気持ちで教習所に向かった。

自分は一本橋という課題が苦手で何度も橋から落ちている。成功率は40%ぐらい。見極めもそれが原因で2回ほど不合格になっている。15mの一本橋が永遠に続くように思える。途中で「中型ではなく小型免許に変更できないか」と相談に行こうと思っていたくらいだ。小型ならバイクも小さいし一本橋は5秒以上の速度で通過すれば良い。中型だとバイクも大きいし7秒以上かけないといけない。見極めで2回不合格になったときは本気で小型に変えるか、或いは諦めようと思っていた。

今日の受験者は自分を含めて5名。ひとりは大型なので自分と同じ中型は4名。自分の順番は2番だった。順番が受験番号となる。

順番を待っている間中、コースを確認しながら祈っていた。合格は諦めているので「イエス様が共にいてくださることがどういうことなのかを教えてください」と祈っていた。足が震え、腕も震えて運転できるような状態ではなかった。落ち着こうとすれば余計に震える。待っている時間は永遠にも思えるくらい長かった。そしていよいよ自分の番になった。後方確認をして乗車、ミラーを調節してエンジンスタート。左右と後方を確認して出発。最初の課題は直線で40km/hを出すこと。これは問題なかったが震えが止まらない。次がクランクとS字。少しウインカーのタイミングが遅れた。踏切の一時停止から坂道発進。その後外周の内回り。前に教習車がいたので速度が出せず低速になり、腕が震えているから車体も揺れているのが分かった。次が問題の一本橋。いつも目線を向ける目標があるが緊張しすぎてうまく見えない。一本橋の前で「イエス様、共にいてください」とヘルメットの中で叫んだ。途中で「ニーグリップ、イエス様助けて、ニーグリップ」と連呼していた。緊張しすぎて何秒で通過したのかは分からなかったが恐らく7秒より早かったと思う。そして次がスラローム。これが鬼門だった。実はスラロームは一番得意な種目であったが今日に限って大失敗をしてしまった。スラロームコースには右折で進入するするが丁度対向車(教習車)があり一度停止した。その際1速にしそのまま発信したためスラロームを1速で進入してしまった。スラロームは2速走行が基本である。最初の立ち上がりでギアが違うことに気づき2速に変速したが時すでに遅し。8秒を大幅に上回る時間をかけてしまった。そして最後の急制動。合図があってから発進しようとした時に、ギアがニュートラルになっていた。1速にしたつもりだったのに。急制動はやり直しもなくそのまま終わり出発点に戻って検定終了となった。

すぐに採点官が評価をしてくれる。やはり一本橋とスラロームは時間がまずかったらしい。また車体が震えているのも良く見えていたとのこと。スピードに緩急がないなどたくさんの指摘を受けた。基本的にスラロームと一本橋で恐らく30点以上の減点になっているはずなので不合格は決まった。

合格発表を待ちながらも「どうせ落ちているから早く帰って今後のことを考えたい」と内心思っていた。朝の電話が掛かってきた件もあるので兎に角全てから解放されたく逃げ出したくなった。1時間ぐらい待ったと思うが合格発表のため再度集合させられた。

「合格者は3名。2番、3番、4番。大型は合格者なし」と発表された。「やっぱりな」と思った。自分は不合格者が呼ばれたと思っていた。なのでそのまま帰ろうとしたら教官から「あなたは隣の部屋で書類と卒業証書を受け取ってください」と言われた。

また泣きそうになった。合格が嬉しかったのではない。合格発表から数時間が経つが未だに合格を嬉しいとは思っていない。不合格の運転をしたのは間違いのないことで、それは自分自身が一番よく分かっている。教官がおまけしてくれたという人がいるかもしれない。しかし、全ては見ていないが1番の人の方が遥かに上手な運転をしていた。なのに彼は合格していない。今日の走行が自分の力でないことは明白である。

あまりにも悪態をつく祈りをする自分に、「イエス様が共にいてくださる」ことの意味を教えてくださった、それ以外に考えられない。家に戻って、また号泣した。イエス様が共にいてくださることをこんな自分に示してくださったことが嬉しく、また感動したのである。妻は今週中に着くよう絶対に離婚届を送り返すよう強く迫っていた。状況は悪くなる一方だが、しかしイエス様が共にいてくださることも事実である。愛する妻がこのイエス様に触れていただけたらどんなに良いだろうか。

Stillという讃美歌がある。逆巻く大波や嵐の時もイエス様の翼の下で憩うことが出来るという讃美歌である。

Stillの動画はこちら

 恐れるな、わたしはあなたと共におる。
Fear not: for I am with thee:

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