集め、導き帰る

Tokyo2020

連休もなくオリンピックをゆっくりテレビで観戦するような状況ではないが色々なメダルの速報も飛び込んできてそれぞれのアスリートが最善の努力をしている様子を肌で感じている。が、自分は競技自体よりもこの大会の開催のことをずっと考えている。昨年行われる筈だった大会。もしかしたら昨年の方がまだ状況は良かったのかも知れない。延期や会場の変更、人数制限から無観客への変更、大会の主だった人の辞任や解任。どこまでイレギュラー続きなのだろう、と思ってしまう。中止を大声で叫ぶことはさほど難しくない。しかしこの大会の中を担いでいる人たちは逃げたくても逃げられない、誰が協力者なのかも分からない、成功したところで労いの言葉と同じぐらいの批判の声を浴びせられることを覚悟しているのだと思う。自分は詳しい事がわからないので表面的な事しか言えないが、この時期に行うオリンピック、パラリンピックはやはり日本でしかできなかったのではないかと思っている。自分は決して国粋主義者ではないが、冷静に考えてこのようないばらの道を文句も言わずにただ粛々と準備を続け安全と感動を届けられることを最優先にする姿勢は日本人にしかない気質のような気がする。これで、大会が終わり日本に待っているのは想像を超えた感染者の拡大。でも、海外からある人々以外は入れなかったので感染を海外に広げることは最小限に抑える事ができる。世界中がテレビで沸き立った後のコロナのゴミを日本人は自国で受け止めながらそれを解消していくのだろう。これこそ当初の「お・も・て・な・し」精神だと思う。だから自分は日本人がメダルをとってもとれなくても、日本は大きな金メダルに匹敵することをしたと誇りに思っている。この大会をずっと支えておられる方々に心からの感謝をしたい。こんな素晴らしい国なのに、残念ながらクリスチャン人口は1%未満と言われている。神様がこの国を憐れみ祝福してくださり多くのクリスチャンを与えてくださることを心から祈るものである。

聖書通読

教会のおばあさんから刺激を受け、毎日10章ずつ聖書を読んでいるが今はエレミヤ書を通読している。前から何度も開いて読んでいるところであるが今日改めて読みながら心から感動した。

「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。 あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。」 エレミヤ書 29:10-14 口語訳

勿論一義的にはバビロン捕囚について述べているところであるので安直な解釈や適応をすべきではないと思っている。が、やはり神様が回復してくださるというお約束はとても嬉しいし心が弾む。苦難を神様の怒りと捉えてしまえばそれまでだが、それが災で終わるのではなく平安、将来、希望を与えるものであるところに神様の計画の奥深さを感じる。そして神様を一心に求めれば自分のような者にも会ってくださるという素晴らしい約束が与えられている。神様が元の場所に再度集めてくださる、本当に感謝すべきことである。

【感動のドローン!!】東京の夜空に美しい地球 Tokyo Olympics .The earth in the night sky of Tokyo comes to mind

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