理想の学校

同僚と

毎日地震のニュースを観ている。ネットで有感地震の履歴を調べるのが日課になっている。以前は沖縄がもっとも地震が少ない県ということで各企業のデータが沖縄に運ばれることがよくあった。今でもそうなのかもしれないが最近沖縄での地震の多さが気になる。その昔、沖縄の中学校で働いていた時に、沖縄に系列の高校が必要であることを痛感していた。いつか沖縄に高校を・・・と思い時間だけが過ぎてしまった。思い入れのある土地、だから地震が気になる。沖縄だけではない。北海道も相変わらず地震が多い。そしてここ数日大きな地震が続いている石川県能登地方。石川にも卒業生や前職の同僚が住んでいる。とても気になったのでその同僚に連絡をしてみた。以前はFacebookにもよく投稿していたが最近はSNSを使っていないようで近況が分からない状態だった。一か八かLINEで連絡してみるとすぐに返信があった。金沢の方なので被害もなく震度も2程度とのこと。地震のこともそうであるが彼が元気でいることを知りとても安心した。その後夜まで色々なことをお互い送りあった。自分がもしも教育伝道をするようになったら一緒に働きたい人物の一人である。スイッチが入るとどこまでも生徒の幸せだけを考える優しい男である。

また、同じようなタイミングで一番親しく連絡を取り合っているかつての同僚から電話があった。しばらく話しているうちに急用が入ってしまい一旦は電話を切ったがその後夜になって再度ゆっくり話すことができた。自分が理想としている「預言者の学校」なるものを実現できたら、彼に全てを残していきたいと思っている人物である。

教育

この夏から岩手県で全寮制の新しい学校がスタートする。新しい学校といっても本家のイギリスでは長い歴史を歩んできた。全世界規模で展開するハロウスクール。素晴らしい教育をしている実績のある学校だ。公文が展開する学校も素晴らしいと聞く。公文もハロウも学費の面では決して誰でも行ける額ではないがそれ相応の教育プログラムなのだと思う。世の中には本当に素晴らしい教育システムをもった学校がたくさんある。自分が以前働いていた学校も昔はとても素晴らしい学校だった。昨日もそのことを思い出して涙が溢れた。「なんでこんな学校になってしまったのだ」。

聖書の中にも学校が出てくる。学校という言葉ではないがサムエルがつくったとされる「預言者の学校」がそれである。最初はラマにあったようだ。自分はこの学校をモデルにして教育活動を行ってきたし、これからまた教育の分野で再生することがあるのならやはり「預言者の学校」にこだわりたい。

昨日はかつての同僚と話しながら、いつか彼らと一緒に本物の教育ができる学校を実現したいと心の底から思った。他にも声をかけたい先生方は沢山いる。国内はもちろんのことアメリカ、イギリスにいるかつての同僚にも声をかけて、本当の「預言者教育」を施せる学校を実現させたい。

預言者の学校について

さらに、青年教育の施設として、預言者の学校が建てられた。もし、青年が、 神の言葉の真理をもっと深くさぐり、上からの知恵を求めて、イスラエルの教師になろうと望むならば、彼らは、こうした学校に入ることができた。預言者の学校は、腐敗が広がるのを防ぐ防壁としてサムエルが創立したもので、青年の道徳的、霊的幸福に貢献し、指導者や助言者として、神をおそれて行動する資格のあ る人物を養成して、国家の将来の繁栄に資するためであった。サムエルは、この目的を達成するために、神をおそれ、知的で勤勉な青年を多く集めた。彼らは預言者の子と呼ばれた。彼らが神と交わり神の言葉と神のみわざを学んだ時に、彼らの生来の賜物に天の知恵が加えられた。教師は、神の真理に良く通じているばかりでなくて、自分たち自身が神との交わりを経験し、神の霊の特別な賜物を受けた人々であった。彼らは、学識と信仰の両面において、人々の尊敬と信頼をかち得ていた。

こういう学校は、サムエルの時代に2つあって、1つは、預言者の故郷のラマにあり、もう1つは、そのとき箱が置かれていたキリアテ・ヤリムにあった。その後、ほかにも学校が設立された。

学校の生徒は、土を耕すとか、あるいは何かの筋肉労働に従事して、自分で働いて自活した。イスラエルにおいてこれは不思議でも卑しいことでもなかった。実際、 子供に有用な仕事を教えないで育てることは、罪悪であると思われていた。どのような高い地位につくための教育を受ける子供であっても例外なく、すべての子供に、 何かの職業を教えることが、神の命令であった。宗教の教師のなかには、肉体労働によって自給した者が多くあった。使徒時代に及んでも、パウロとアクラは、 天幕作りを職業として生計を立てたが、そのために卑しめられることはなかった。

学校の主要科目は、神の律法とモーセに与えられた教訓、神の民の歴史、聖楽、 詩歌などであった。その教授法は、現代の神学校の教授法とは非常に異なってい た。今日、多くの学生は、入学した時よりも、神と宗教的真理に関して真の知識をもたずに神学校を卒業する。昔の預言者の学校では、神のみこころと神に対する人間の義務を学ぶことが、すべての研究の大目的であった。神の民の歴史の記録の中に、主の足跡をたどることができる。偉大な真理が型によって明らかに示され、その全制度の中心目的が、世の罪を取り除く神の小羊であることを、彼らは信仰によって悟ったのである。

人類のあけぼの電子版 p520,521

サムエルが建設した預言者の学校は、イスラエルの背信の時代に衰微してしまっていた。エリヤはこうした学校を再建し、若い人々が律法を大いなるものとし、かつ光栄あるものとする教育を受けられるようにしたのである。これらの学校のうちギルガルとベテルとエリコにあったものが記録に記されている。エリヤが天に携え上げられる直前に、エリヤとエリシャはこれらの教育の中心地を訪問した。神の預言者は以前に訪れたときに与えた教訓を今、また繰り返した。特に彼は天の神に対して彼が真心から忠誠をつくすという彼らの大いなる特権について教えた。彼はまた彼らの教育のあらゆる面が、簡素を特徴とすべきであることの重要性を彼らの心に印象づけた。このようにして彼らは初めて天の型を受け主の道に従って行くためにでていくことができたのである。
国と指導者 上 P192

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