逆「たられば」

結婚記念日

結婚18周年を迎えた。今の状態が結婚生活、或いは家庭生活があるとは決して言えないがどうしようもない状況の中で何とか生活を保っている状態である。丁度1年前の状況がどうだったかを知りたく日記を読み返してみた。仕事も決まらず、ただ退職、引越しだけが迫られる毎日で絶望的な様子が綴られていた。17回目の結婚記念日を迎えた1年前、これからどうしていけば良いのかが分からず絶望的な状況にいた。気力もなかったが、あまりにもひどい教団や学校の対応に憤り裁判で戦うことも考えた時期があった。いくつかの有力な記録も残っていたので友人の弁護士先生に相談してみようかとも思った。しかし、結局その気力も続かず、裁判ではなく人生そのものを諦めようとしていた。何度も本気でその方向を考えた。しかし、そのような時に認知症の母から電話があった。会話が噛み合わなかったが、自分のただならぬ様子に気づいたのか、電話口でずっと泣いてくれていた。「あんたがかわいそうだ。ひどいじゃない!」と何度も言いながら電話で泣いている母と話しながら漠然と「今は死んではいけないのかもしれない」と思った。悔しさと絶望感だけが心の中にあった1年前。

たられば

wikipediaで「たられば」を調べてみた。

たらればとは、「もし○○していたら」や「もし○○していれば」という仮定を伴う主張・願望・後悔・議論・批判などを意味する日本語の語である。片仮名でタラレバと表記する場合もある。
もし、ここで〇〇を選んでいたら?
この時にこうすれば。(よかった)
といった、〇〇れば、〇〇たらを総称した表現である。
検証や見返しの作業で使われたり、叶わない事柄を望んだり、様々な場面で主に後悔の念にとらわれているときに使われたりする。またそのような願望や後悔は無意味であるという非難のためにも使われる。

もしも、復職できていたらと考えることがあった。どうしても教育伝道の働きがしたく、そのように考えていた。

ところが先日、あることに気付いた。この1年間の支出を計算してみた。その殆どが妻への送金や子どもの塾や学習教材などだった。かつて使ったことがないほどの金額をこの1年間に使っていた。そしてそのお金の出所がすべて「退職金」だった。もしも・・・。もしも退職していなければ「退職金」が入らずこの1年の支払いは叶わなかった。特に、狭い世界だけで育ってきた長男が初めて広い世界を見てみたいと系列以外の高校進学を考えるようになった。このお金も退職金がなければ用意できなかった。短い期間ではあったが家族全員が揃った先日の卒業式。これだけでも30万円ぐらい掛かっているが退職金がなければ叶わなかったことである。

「たられば」は叶わなかった時に使う仮定のようだが、自分の場合はその逆である。あれほど避けたかった「退職」であったが、「退職」しなければ決して叶わなかったことがあることに気付かされた。最も避けたい道を敢えて通過させた神様のご計画を思う時に「すごい」としか言いようがない。

70年のバビロン捕囚

全てが回復したわけではないが、それでも神様が片時も離れないでいてくださることを毎日経験している。本当に感謝すべきことだと思っている。状況には何の希望も無いが、しかし神様を見上げた時に全ての希望があることに気付かされる。最悪の経験と思われるバビロンの経験が、捕囚の民を「良いいちじくの実」に変えた。自分も同じような気がしている。

10主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。 11主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 12その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。 13あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 14わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。
エレミヤ29:10-14

The First Seven 1: 大争闘

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA