コロナ
昨日長男と電話で話した。全寮制の学校なので色々な感染症が気になるところだがインフルエンザA型とコロナの感染者は少なからずいるとのことだった。長男は元々勉強が好きでも得意でもないのでかなり無理して学習に勤しんでいる。将来の夢があるためどうしても希望の大学に進学したいのだ。かなり自分を追い込んで自習している様子。他のお子さんならそれほどでもないことが長男にはその何倍も努力しないと勉強についていけない。そんなこともあり昨日の電話は少し元気が無く、またお楽しみがなく落ち込んでいるようにも思えた。
数日間、高校教員の弟と一緒にいたので近況を聴いたがやはり新課程がかなり厳しい要求をしているとのことだった。学習の深度も深まり教える側も大変だという。加えてコロナである。
今週末から長男の通う高等学校は卒業プログラムがはじまる。3年生と特に親しかったため、3年生の卒業が寂しくてならないようだ。唯一楽しみにしていた卒業式後の学年プログラム。例年は校外での宿泊プログラムなのだがやはりコロナの影響で校内でのプログラムになってしまい楽しみが半減していると言っていた。食事中も会話はできず、寮生活なのに友人の部屋を訪問することができない。コロナが全てを変えてしまった印象がある。
今朝読んだニュースにもコロナが教育現場にもたらした影響について報じていた。将来に対する不安が募り、孤独を感じる場面が多くなったのかも知れない。タブレット端末等も一気に教育現場に入って来た。そして、残念ながら将来を儚んで生きることを諦める若者も増えているという。人類は今、どこに向かおうとしているのだろう。
マスク
母の告別式でのこと。親族が久しぶりに集まったので写真を撮った。普通に撮ったのだが誰かが気づき「では一瞬マスクを外して撮りましょう」と提案してくれた。少し前まで、マスクは不要なものだった。教員時代、生徒の中に時々マスクを外せない子がいた。不安なことがある場合、あるいは自己肯定感の低い子等にその傾向がある。マスクを外す指導をしたことはないが、生徒の方からマスクを使ってサインを出してくれているのだから当然長い時間をかけてゆっくり話す。少しずつマスクが外せるようになる。そのような時代が懐かしい。逆に言えば、マスクによるサインは見分けがつかないので更に深く生徒と関わらないとその深層心理に寄り添うことはできないだろう。このままマスクを常用するようになれば数年後には「パパの時代はマスクをしなくても怒られなかったの?」などと子どもから質問されそうだ。
本性
何かデータやエビデンスがあるわけではない。単なる個人の感想である。
コロナ以降、人々が本性を出すようになった気がしている。怒りやすく自暴自棄になりやすいような気がしている。ただの勘違いだと思うが。
別の話だが音楽は人の心を癒し和ませ力づける作用がある。大きな力を持っているので悪用されることもある。それまでの純正律に対して12平均律が1600年代に産声をあげた。この発明は画期的であった。それまでの純正律は和音を元に音程を決めるので特定の調(調の考え自体が平均律の産物であるが)に対してのみ有効で別の調には別のチューニングが必要になる。これでは楽器がいくつあっても間に合わないので、となりあう音に対して等しい比率(掛け算)となる周波数を設定した。1オクターブ離れると周波数は2倍、あるいは1/2になるのでこれを12等分して隣の音の周波数を決めた。この音階で和音を作るとどうしても音に濁りが出てしまい、物理的に言うと「うなり」が生じる。純正律に比べて「和音」の完成度は低くなるが、調によって楽器のチューニングを変える必要もなく利便性が高い。「少しだけ和音に違和感があるけど、それは少しだけだから我慢してね」という具合に作られたのが平均律。ちなみに、当然のことだがバイオリンのようにフレットのない楽器は純正律、平均律双方に対応できる。
ある人の分析だが、人類が平均律を手に入れてから争い、戦争が増えたと言うのだ。この分析には若干の疑問も残るが影響はあったかも知れない。
日常生活のほんの少しの歪み、これは何らかの影響を与える気がする。この歪みがあるならばできるだけ早く修正を加えないといけない。
「あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。 わたしはあなたに信頼します。 わが歩むべき道を教えてください。 わが魂はあなたを仰ぎ望みます。」
詩篇 143:8 口語訳
2023年1月14日 「わたしを清くすることがおできになります」 安息日礼拝LIVE配信
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