焦り

受験勉強

受験シーズンを間近に控え、大学受験に備えているかつての生徒からの質問もその頻度を増している。わからない問題が次々に送られてくる。昨晩も夜中に問題が送られてきた。たまたま目が覚めて時間を確認しようと携帯を見たときに質問が送られてきていることに気づいた。眠くて半分寝ぼけていたが問題に目を通し解答した。典型的あるいは定番とも言える問題だった。円錐の体積比を求める問題である。円錐を底面と平行に三等分する。その時の体積比を求めよ、という基本的な問題であるがやったことがあれば円錐だろうが四角錐、三角錐なんでも同じ結果になることはすぐに分かる。解答しその説明を書いて送った。しばらくして、理解できたとの返信があったがその後数回にわたって彼女の受験に対する不安や恐怖が送られてきた。この時期は1週間1サイクルの基本的な学習リズムを崩さず、過去問や難しい問題に没頭しすぎないことの大切さをもう一度伝えた。そして、みんなが不安になる時期なので「決して自分だけではない」と言い聞かせ、イエス様に頼って日々やるべきことだけをやる毎日を送るよう伝えた。そして自分は勿論のこと、同じ大学を受ける他の受験生のためにも祈ることを約束してもらった。

浪人時代

彼女の不安や焦り、恐怖が痛いほどよく分かる。自分の浪人生活がまさにそうだった。校内模擬試験では何度も表彰されることはあったがそれは物理だけのこと。数学がまるでだめだった。11月ごろから、夜床に着くと不安な気持ちで涙が流れてしまう毎日だった。模擬試験での表彰は本番の受験に対して何の効力もない。10回表彰されれば希望の大学に無条件で進学できる、などの制度があれば良いのだがあるわけない。不安と恐怖に押しつぶされるので一度は寝たもののすぐに起きて勉強を始める。すると、また自分が理解できていない事に気付かされる。諦めて寝ようとするが結局不安でまた勉強してしまう。そして一睡もできないまま夜明けを迎えるのだ。確かに勉強する事で実力もつくのかもしれない。しかし、当時の自分はそれ以上に勉強を麻薬のように思っていた。勉強をしていないと不安になり勉強する事で更に不安になる。そのようなことを繰り返していた。質問をしてくれる彼女には、かつての自分のようにはなってほしくない。いつもイエス様を見上げ、イエス様にだけ頼る生き方に目を向けて欲しいと思っている。そして、神様を知っている者の責任として他の神様を知らない受験生のために祈ることは責務であると思って欲しいのだ。

意味は違うと思うがある本の中に次のような言葉を見つけた。

答えは、突然に、しかも圧倒的な方法でもたらされるかもしれないが、一方で長く待たされて私たちの信仰が試されるかもしれない。しかし神は、いつ、どのように答えるべきかをご存知である。私たちがすべきことは、常に聖なる関係を保ち続けることである。神は、ご自分の責任を果たされる。神は約束に忠実であられる。私たちにとても大切なことは、心を一つにして、全ての妬みや悪の心を脇に置き、願い求める者として謙虚に待つことである。頭であり、代表者であるイエスは、ペンテコステの日に目を覚まして祈っていた者たちになされたことを、私たちのためになさる備えができておられる。
(3SP 272 1878 )( 終わりの時代の諸事件 p185)

受験シーズンを迎える時期になったが、受験生が困難を通して志望校だけでなくイエス様に出会う経験ができるよう祈るものである。

第1回「洪水はあったのか」講師:山本哲也

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA