後ろ髪をひかれる思い
先ほど、何とか実家を出ることができた。年老いて不安を抱えながら寄り添って生きる両親を見捨てるかのように実家を出る自分がとんでもない親不孝者に思えて仕方ない。何度も何度も心の中で「お父さんごめんね、お母さんごめんね」と言い、「神様が両親を守ってくれるしか方法はありません。どうか二人を特別に癒し、平安を与え、災いから遠ざけ、幸せにしてください」と祈った。
今日のこと
早朝から苦しむ母の声が聞こえた。飲んで良いのか悩んだが鎮痛薬を飲ませ氷水で冷やしたタオルを額にのせて落ち着かせた。その後落ち着いたのか眠ったので自分も少し眠った。
7時を過ぎたので朝食の準備、母に食べさせるアイスなどを用意した。歩いてトイレに行けない母を介助してトイレに行かせ、朝食。その後後片付けをして自分は聖書研究と聖書通読。安息日だけど両親のために買い物もした。風呂場の椅子が両親には低い気がしたのでもう少し高いものを購入した。他にシャワーヘッドが割れて明後日の方向からお湯が出てしまうのでヘッドを買い替えた。また至る所が汚れているので掃除もした。カビキラーを使い少しは清潔感のある風呂場にした。そして昼食を用意し、同時に夕食も作り置きした。
何度も泣く母
認知症と入院生活のため、自分の状況が十分把握できない母は「ここは家?それとも病院?」と何度も聞いてくる。昨日は私のことを不憫で不幸とばかり言っていたが、なるべく前向きな会話をするよう心がけたら「子どもたちは自分のことを心配してくれる」と言って私たち兄弟に対する感謝をしながら「ありがたいことだ」と言って何度も泣いていた。
15時に実家を出たのだが、出発の直前に弟夫婦から母に豪華な花のアレンジが届いた。自分たち兄弟は両親の誕生日や敬老の日、父の日、母の日には必ず贈り物をする。よほどのことがない限り記念日の当日に着くように手配するのだが、実は昨日の母の誕生日に弟からはプレゼントが届かなかった。珍しいな、と思いながら特に気にもとめていなかったが、私が実家を離れる直前に寂しい気持ちを堪えている両親を励ますかのように1日遅れのプレゼントが届いた。特に母は花が大好きなのでこのプレゼントを心から喜んでいた。神様のなさることは皆その時にかなって美しい、と聖書に書いてあるがその通りだと痛感した。
そして
作り置きした夕食の説明などをしていよいよ出発の時間になった。
自分もどうして良いのか、このまま青森に戻って良いのかかなり悩んだが帰るしかないので、両親に「もういかなくちゃならないけど、このまま帰るには不安しかないから最後に僕がお祈りするね」と言って三人で祈った。心の底から、神様に頼る以外に方法がないことを痛感した。
「神様が全てを導いてくださるから、私たちは平安です」などと祈る自分が滑稽に思えた。毎日神様に委ねながらも不安の方が勝り「心に平安がない、失望の中で生きるくらいならこのまま命をとってください」と祈ってばかりいる自分が、両親の前では「平安です」などと祈っている。しかし本当にそう思えたのだ。不思議なものである。
こうしている今も両親のことが気になって仕方ないが全ては神様が最善の道に導いてくださることを信じるしかない。実家滞在時間はたったの24時間。何もできなかったけど、祈り続けた24時間だった。
わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、 あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。
詩篇 94:19 口語訳
2021年10月9日 安息日礼拝LIVE配信(メッセージは7:40から)
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