嵐の中にあって

宣戦布告

私の所属する教団は全世界にネットワークを持つ巨大組織だが、世界中の教会員が同じ聖書のテキストを用いて学びをしている。2021年1月から3月終わりまでは「イザヤ書」について研究している。先週はユダ王国の王様であるヒゼキヤという人が敵国アッシリアから攻められるところを学んだ。敵国の使者が持ってきた手紙、いわば宣戦布告の手紙を受け取った。彼はそれを読んでどうしたであろうか?ヒゼキヤ王はその手紙を神様の前に持って行ったのである。その場面が聖書に書かれている。

ヒゼキヤは使者の手から手紙を
受け取ってそれを読み、
主の宮にのぼっていって、
主の前にそれをひろげ、
主に祈って言った、
「ケルビムの上に座しておられる
イスラエルの神、万軍の主よ、
地のすべての国のうちで、
ただあなただけが神で
いらせられます。
あなたは天と地を造られました。
主よ、耳を傾けて聞いてください。
主よ、目を開いて見てください。
セナケリブが生ける神を
そしるために書き送った
言葉を聞いてください。
And Hezekiah received the letter
from the hand of the messengers,
and read it:
and Hezekiah went up unto
the house of the LORD,
and spread it before the LORD.
And Hezekiah prayed
unto the LORD,
saying,
O LORD of hosts,
God of Israel,
that dwellest between the cherubims,
thou art the God, even thou alone,
of all the kingdoms of the earth:
thou hast made heaven and earth.
Incline thine ear,
O LORD, and hear;
open thine eyes,
O LORD, and see:
and hear all the words of Sennacherib,
which hath sent to reproach the living God.
イザヤ書37:14-17

困難の中にあってヒゼキヤが信頼したのは参謀でもなければ友人でもなかった。彼はまず神様を信頼し神様の前に窮状を訴えたのである。

今日、妻から「内容証明郵便」が届いた。1回目の離婚の時にも内容証明が送られてきたのでその手のものだろうとは覚悟したがやはりそうだった。「離婚届」に署名して返送してこないため「離婚調停」に持ち込む旨が記されていた。自分には戦いの意思などないが「宣戦布告」の手紙である。しばらく心がざわつき、ずっと祈っていたが涙しか出てこないので海を見るために散歩に出かけた。歩きながらずっと祈り続けた。祈りとも言えない様な叫びや嘆願、愚痴などが次々と口から出てきた。まとまらない祈りを聖霊の神様が整えてくださることをも祈った。

ダビデの励まし

聖書にはダビデという王様が多くの部分を書いた「詩篇」という箇所がある。自分のスマホに入れている「Youversion」という聖書は毎日相応しい聖書の言葉を配信してくれる。今日の聖書の言葉は詩篇だった。次の様な言葉だ。

聖歌隊の指揮者によって
うたわせたダビデの歌
わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。
主は耳を傾けて、
わたしの叫びを聞かれた。
主はわたしを滅びの穴から、
泥の沼から引きあげて、
わたしの足を岩の上におき、
わたしの歩みをたしかにされた。

I waited patiently for the LORD;
and he inclined unto me,
and heard my cry.
He brought me up also out of an horrible pit,
out of the miry clay,
and set my feet upon a rock,
and established my goings.
詩篇40:1,2

イスラエルの第2代王であったダビデ。ダビデは神様に忠誠を尽くすと同時に大きな罪もたくさん犯した。しかし最終的にはいつも神様の前に悔い改めて謙遜にへりくだって許しを乞い、神様を讃美する人生を送った人だ。このダビデが「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ」と言っている。ダビデの様に神様から愛され神様と共に歩んだ人であっても「耐えて、待ち望んだ」という。祈ってすぐに聞かれたわけではなく執拗に祈り求めた結果、神様が哀れんでその御手を動かしてくださった。勿論神様は不承不承ダビデの祈りに不本意ながら応えたわけではない。ダビデにとって最も良いタイミングで彼を救い出したのである。ダビデは別の場所で「主よ、なぜ眠っているのですか」とか「主よ、何故私をお見捨てになるのですか」という不信仰な祈りもしている。でも神様に祈り続けていること自体、神様に対する信仰を失っていないことがわかる。応えられなくてもひたすら祈り続けるダビデの姿勢が今の自分を励ましてくれる。

祈っても祈っても道が拓かれない。というよりかえって悪い方にことが進んでいる様にしか見えない、その様な自分の置かれている状況である。が、それでも自分は神様を信じ続けていたい。心はくじけそうになるのでこのへんで平安をくださらないかな、と思ってしまうが神様のタイミングがあるのだろう。全て神様に任せて、なる様にしかならない人生を神様と共に歩んでいきたい。

今の自分の心境を讃美歌にするならこれかな、と思うものを見つけた。是非視聴していただきたい。

讃美歌の動画はこちら

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