それで大丈夫?

本当のこと

長男が寮生活に重荷を感じるようになり現在の家である妻のところに帰った。一昨日妻から電話があり本当にあったことを教えてもらった。確かに舎監が多くの仕事を寮長である長男に任せるので勉強との両立ができずパンクしてしまった面もあったようだが他にも理由があった。それはちょうど1週間ほど前に長男のバイオリンが誰かによって壊されてしまったのである。長男が所有しているが実は私のバイオリンである。長男には寮生活で高価なものを持つのはあまり良くないと30万円ほどのバイオリンを持たせていた。しかし私のバイオリンを一度弾いたことがありそれ以来このバイオリンが気に入ってしまったようだ。仕方がないのでおよそ100万円のバイオリンを長男に持たせることにした。そして自分は長男が使っていた30万円のバイオリンを使うようにした。確かに100万円は高価ではあるがバイオリンの世界では100万円のバイオリンといえば結構多くの人がこのクラスのものを使っている。だいたいい音楽大学でバイオリンを専攻する人で最低200万円程度のバイオリンを使うと言われている。手工品であればどんなに安くても50万円から80万円程度の値段なので100万円というには決して高価ではない。が、長男にしてみれば父親から譲り受けた大切なバイオリンが壊されたということがショックだったと思う。また寮のために一生懸命に働いて来たつもりなのに誰かの恨みを買っていたのではないかというのも落ち込む原因となった。そして子どもは母親の元に帰って行ったのである。子どもの学校から連絡があった。校長からだった。以前は彼は自分の部下だった人間である。真面目ではあるが機転が利かない。生徒に対する愛情が希薄でそのくせ役職にこだわる人間である。彼が教頭をしているときに、自分の同僚が暴力を受ける時間があったがその教頭(現在の校長)は被害者である同僚をかばうことなく加害者に加担する形をとってしまった。教育局長も間に入ったがこの教育局長が更に曲者で結局暴力被害を受けた同僚は「自分が選んだ」という形に追い込まれて他の部門に移動となり教員をやめることとなってしまった。現在の校長、そして教育局長がいかに間違った判断を意図的にしたかがわかる重大な事件だ。こんな問題を起こしてでも自分が校長になることに拘った人間であるので、今回の長男の問題も良い解決を導けるわけがない。

集団に訴える

この校長が何をしたか。実は中学生を集めて長男のバイオリンが壊されたことを報告しこれをやったものは名乗り出ろと訴えたのである。この手法はよく学校のドラマなどでも見ることがあり、実際にこのような指導を行う学校も多いのだと思う。しかし、自分はこの方法に疑問を持っている。正直な気持ちを言えば「こんな訴えでやった生徒が出てくるわけがない。むしろ逆効果だ」と思っている。なぜだかお分かりだろうか?こういう訴えかけをすれば、やっていない生徒たちの数名がいきり立ってくる。「誰だよ、そんなことをする奴は。出てこないなら自分たちで見つけてやる」と息巻くタイプの生徒たちである。一見正義感があるような感じがするが、この校長の訴えかけはこの息巻く生徒の行動を助長しただけで終わってしまうのである。バイオリンを壊した生徒は必ずいる。しかし、その生徒にも良心はあると自分は信じている。その良心に訴えかけて本人が「自分が悪いことをした」と反省することが優先されるべきである。暴力的に犯人探しをしてあぶり出す方法は警察の手法であって教育現場のやり方ではないと自分は思っている。やってしまった生徒のこれからのことも考えてあげなくてはならない。その生徒がみんなから後ろ指を刺されて学校に居づらくなる環境を作ることがまさに今回校長が全校集会を開いてしてしまったことなのである。教育者、学校の責任者なのにこのようなことも考えられないのが情けないし、こういうことだから生徒に寄り添えないのだと改めて実感した。やってしまった生徒もやられた生徒(今回はうちの長男だったが)も同じように尊い魂なのである。その愛が根底にない今回の校長の行動が自分には許せないのである。子どもが傷ついたことは悲しい。しかし今回はたまたまうちの子が被害者であったが、次はうちの子が加害者になることも十分に考えられるのだ。その時にうちの子は犯人探しの視線に晒され、万が一犯人だとバレたら立ち直れないくらいのショックを受けるのである。そのような教育をこの校長は自ら率先して「これこそ正義で、校長自ら訴えているのだから素晴らしいだろ!」と意気揚々と誇らしげにそのことを報告していた。何も言えなかったがどうしても加害生徒が可哀想になり「北林くんのしたことは警察では評価される。しかしミッションスクールでは最低の方法だと自分は考える。少なくとも自分は教員生活の中でそのような行動をしたことは一度もない」と言った。憮然としていた。人間には色々な面があり、時と場合によってその行動も大きく異なることがある。その中で犯してしまったたったひとつの失敗でその人を立ち上がれないほど傷つけても良いのだろうか。少なくても、この校長は自分の同僚には癒えない心の傷を与えておきながら一切意に介さない。恐ろしい校長だ。
Here I Am To Worship / The Call – Hillsong Worship

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