ヤコブ

極限状態からの救い

聖書に出てくる話はどれもドラマチックで教訓と励ましに満ちている。自分は創世記や出エジプト記が好きなのだが素晴らしい話の宝庫の様に思っている。旧約聖書の神様をよく「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という言い方をすることがある。この3人の中で少し毛色の違うのがヤコブだと思う。双子の弟として生まれてくるが母親と結託して長男の権利を騙し取ってしまう。騙されたことを知った、本当の長男エサウが激昂してヤコブの命を奪おうとする。ヤコブはおじさんのところに身を隠すが遂に兄弟の和解を目指して謝罪することになる。エサウに会う旅に出かけたが途中で夢をみる。

「さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。」
創世記 28:10-22 口語訳

ヤコブが一方的に悪いのだが神様はこのヤコブを特別に祝福し、赦し、支えてくださった。

共にいてくださる神

上記の聖句の中で一番心に迫ってくるのが

わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう

という言葉だ。この言葉を読んだときにとにかく涙が溢れてきた。共にいてくださる神様の存在、本当にありえない幸せである。この神様が自分如きの様な存在に目をかけてくださり守り、また祝福の元の場所に連れ帰ってくださるという約束まで与えてくださっている。いま自分はこの聖句を暗唱し、日毎に「この聖句はヤコブに語られた言葉ですが、私に語ってくださった言葉として受け止めても良いですか?」と問いかける祈りをしている。これがもしも自分に対する言葉であったらとんでもないことになりそうである。

主の御声により~内藤千鶴

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