什一献金

6月25日

今日は6月の給与支給日だった。今日は仕事が休みだったので昨日のうちに給与明細をいただいていた。なので振り込まれる金額は分かっていた。自分の通う教会はいくつかの特長的な教えがある。全て聖書に基づいているものであるが周りの教会からはその辺が異端視されることもある。その中のひとつに十分の一献金、什一献金というのがある。収入の1割を神様にお返しすべく献金として献げることになっている。自分が今まで働いていた職場は自動的に什一献金が計算され給与支給から天引きされていた。だから什一献金を苦に思ったことはないが今の職場は什一献金を自分で計算して教会で捧げなければならない。これが結構な誘惑になっている。今までの職場より給与が下がり経済的には苦慮しているため、少しでも手元にお金が残る様什一献金の額を勝手に調整したくなってしまうのだ。極端なことを言えば什一献金をしなくても誰かに咎められることもない。誰にも咎められないから、その分神様との関係に基づく真剣勝負でもある。因みに什一献金については聖書に記述があるがその中のひとつを紹介したい。

 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
マラキ3:8-10

父のこと

小さい頃、自分の家は大家族であった。祖父母、両親、兄弟、そして職人さん8人で暮らしていた。通いの職人さんも居て毎年夏には慰安旅行を父が計画していた。羽振りが良かったのかは分からなかったがいつも忙しそうにしていた。しかし、自分が小学3年生ごろから急に様子が変わった。姉が寮のある私立中学に入学し、それとほとんど同時期に土地を買うことになった。上物は自分の家だったが土地が借地だった。急に出費が増えたのである。両親はそれからいつもお金のことで苦労していた。苦労をしながらも自分を寮のある中学に進学させてくれ弟も同じ様にしてもらった。ある時父が自分に語った話を今でもはっきり覚えている。しばらくして父は銀行から結構な額のお金を借りた。そしてそれを全額教会に献金したのだ。父の話では、土地の購入費用と子どもたちの学費で非常に苦しい生活を強いられ、什一献金どころではなかったという。しかしある時「これではいけない」と思い、借金をして今までささげていなかった什一献金を記憶している限り遡って捧げたという。神様を試みることをいけないことだが、この什一献金だけはそれが許されている。経済状態が好転したわけでは決してなかったが全ての祝福の源である什一献金を誠実に献げることは神様に忠実であることの証になると借金をしたらしい。そんな父を誇らしく思う。このお金が手元に残ればどれだけ生活が楽になるだろう、という誘惑に打ち勝って常に喜んで什一献金をささげられる様になりたい。

聖書研究ガイド21年2期13課

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