神様に遣わされた人

寂しさを感じるとき

今日は久しぶりの休み。習慣で5時に起きてしまったが洗濯や掃除などをしているうちに少し疲れて眠ってしまった。普段大したことをしていないのに疲れだけは一人前である。昼前まで眠ってしまった。急いで準備をして出かけた。今日は父の日のプレゼントを買って送ることにしていた。弘前まで行って色々なものを物色して適当なものを見つけてそれを近くの郵便局から送った。今日は奥入瀬まで行こうと思ったが時間が遅くなってしまったので次回にし、近場の自然界で写真でも撮ろうと当てもなく出かけた。結局1時間ぐらい走ったところにあるダム周辺が結構自然豊かなところだったのでその辺でのんびりしていた。休日は家でゆっくりしたいところだが家にいるととても寂しい気持ちになる。なので無理して家を出ることにしている。今日は時間も短く何と無く不完全燃焼だったけれど安息日も始まるので家路についた。家に戻って直ぐに今日の聖書研究を始めた。勉強している間中心が何と無く重かった。ずっと次男が「パパに会いたい、寂しい」と泣いている気がしていた。実際には次男はもう自分のことなど忘れているかもしれないし自分のことを恋しがることもないと思うのだが、急にそんなことを考えていたら自分の方が悲しい気持ちになりいたたまれなくなってしまった。聖書研究を少し休んでずっと祈っていた。この気持ちを静めてください、家族がやがて回復することを信じさせてください、今は全くその様な見込みはありませんが何でもできる神様が必ずそれをしてくださると信じさせてください、とずっと祈っていた。そして「この寂しく、悲しみに溢れた気持ちを神様が癒してください」とずっと祈っていた。

電話

そんな寂しさの中、かつての同僚から連絡があった。少し急いでいる様だったので電話を掛けてみた。久しぶりに色々な話を聞かせてもらい彼の相談にも乗った。その電話中、着信が2回ほどあったので30分ぐらい話した同僚との電話の後、取れなかった電話番号に電話を掛けて見た。聞き覚えのある懐かしい声。「金曜日の夜になると急に寂しくなるので、自分と同じ様に寂しい気持ちでいるであろう人に電話をしています」と笑い声交じりに言っている。久しぶりに話す河原牧師であった。この先生と話すと悲しい気持ちが穏やかになり楽になる。青森で津軽弁に苦労している話や自分の親しいお友達は病院の患者さん、おじいちゃんおばあちゃんばかりだということを話した。そして、ちょうど1週間前にあった不思議な話をした。河原牧師は「それは神様が働いてくださっていますね」と共感してくださった。20分ほどの電話だったが、先ほどまで次男のことを考えて気が狂うほど悲しく絶望的な気持ちになっていたのに、心が晴れていることに気づいた。神様は自分の祈りのすぐに応えてくださり必要な、そして最善の助けをすぐに送ってくださった。まさに河原牧師は神様に遣わされた人といえる。最近神様が自分のことをとても気にかけてくださっていることが色々な体験から時間できる。本当にありがたいことであるし勿体無いことである。この安息日、神様のことだけを考えて過ごしたいものである。

『饅頭のような聖書の22の話』第11回「キリストはまもなくもう一度来る。」10月13日 講師:河原 久

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