思い出
自分はマニアというほど知識はないが鉄道が大好きである。東武東上線を使うことが多く池袋に出れば多くの電車を見ることができる。小学生の頃は山手線がまだ緑色だった。これに乗れば教会がある原宿に行ける。親戚の家に行くときも全て電車で行く。親戚が数名揃って住んでいる亀戸には秋葉原まで行って総武線に乗れば着く。母方の祖母の家はお花茶屋にあったが、山手線で上野か日暮里にでてそこから京成線に乗れば行ける。祖母は都営住宅に一人で住んでいた。創価学会の熱心な信者だったので、自分の家とは全く違う雰囲気にいつも戸惑いを感じていた。大きな仏壇があり、お土産を持っていったも必ず仏壇の前に置かれる。仏壇の中には何がいるのかいつも疑問だった。祖母の家に行くときに使う京成線の車両は大きく2種類あった。赤と肌色のツートン、そしてグリーンとモスグリーンのツートンの2種類だ。記憶が曖昧だがグリーンだと各駅に止まっていた気がする。だからいつも赤の車両に乗っていたが、グリーンの車両がロッテのガムを思い出させる色合いで乗ってみたいといつも思っていた。昨日、何気なく昔の車両をネットで検索してたところ急に京成線のグリーンの車両が出てきた。息が止まるほど驚いたし一瞬にして小学生のあの頃に引き戻された。
自分が住む街とはまた違った雰囲気の下町を通る京成線から景色を眺めていたあの頃。両親に色々な質問をして物事を覚えるのが面白くてたまらなかった。仕事に追われ忙しい毎日を送っていたはずなのに、できるだけ日曜日には家族で出かけるようにしてくれていた。勉強は苦手だったので学校の楽しさはあまりわからなかったけど、とにかく家が好きだった。そして家族が大好きだった。心配することは何もなく、全部両親が何でもしてくれた。週末に持って帰ってきていた上履きを出し忘れ、日曜日の夜になって母に出すと「明日までに乾かないでしょ」と叱られたが、月曜の朝には必ず乾いていた。今考えれば、自分が寝ている間にドライヤーで乾かしてくれていたのだと思う。何でも任せておけば心配なかった。何とかなった。
今も
歳をとってあまり動けなくなったが今でも両親は「何かできることはないか」と自分のことを気遣ってくれる。頼ることはできないが、気持ちは昔のままだ。ありがたい。
両親には頼れなくなったが、今でも毎日神様に頼りながら生きている。何をどのように助けてもらっているのか、全ては分からないが自分にとっての幸福をいつも考えその道を備えてくださっている。そのような神様に全てをお委ねして生きられることを幸せだと思う。
「悩みの日に私を呼べ」と主は言っておられる(詩50: 15)。神は私たちが自分達の悩みと欠乏とを神に申し上げ上からの助けが必要なことを私たちが神に訴えることを神はすすめておられる。また神は常に祈るようにお命じになる。困難なことが起こったときにはすぐに熱心な祈りを心から神にささげなければならない。私たちはしきりに願うことによって神に対する私たちの強い信頼を表す。私たちのこうした必要感が熱心に神に祈りをささげさせ、そして天の父は私たちの嘆願を聞いて心をお動かしなる。
実物教訓 P153
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