こみせ

津軽に来て

送迎の仕事を始めた頃、とにかく道が覚えられなくて苦労した。特に黒石は一方通行が多く一度入ったら抜けるまでに時間がかかる場所も多く何となく避けたい場所だった。しかし、道に迷ったおかげで「こみせ」なるものを発見することができた。津軽、あるいは黒石の名物でもあるので多くの人が知るところだと思うが自分はそのような知識がなく偶然迷い込んだだけであった。が風情がありとてもここが癒されたことを思い出す。長年住んでいた広島にも風情あふれる街並みは色々なところにあったが、特に竹原の街並みが好きだった。そして黒石の「こみせ」はそれを超えるような美しさで、一瞬で心を奪われてしまった。1ヶ月ほど前に急に思い立って再度こみせ通りを動画と写真撮影のために訪れてみた。やはり心が落ち着く。

そもそも「こみせ」とは・・・青森県や秋田県に伝わる家屋或いは店舗のひさしのことをさす。東京の下町商店街もそれぞれの商店が今でいう「オーニング」を出すことで簡易アーケードができていたのを思い出す。しかしここは雪深いところ。そんな程度のひさしではもたない。

黒石市のホームページには

建物の表通りに設けられたひさしを、青森県や秋田県では「こみせ」と呼んでいます。同じものが、新潟県などでは「雁木」と呼ばれており、地方によって呼び名が違います。こみせの空間は、積雪時の貴重な歩行通路となることから、降雪地帯で維持されてきたと考えられます。

と説明されていた。

黒石津軽家

「黒石津軽家」が誕生したのは、江戸時代前期のこと。明暦元年(1655)、弘前藩3代目藩主・津軽信義が急死したため、その翌年、彼の子供である信政が4代目藩主となった。しかし、その当時信政はまだ幼かったことから、信義の弟である津軽信英(のぶふさ)が信政の後見人に命じられた。そこで明暦2年(1656)、信英は弘前藩から5,000石を分知され、黒石領初代領主となった。信英は分知以前からあった町並みを基に新しい町割りを行っており、これが現在の黒石の基礎となっている。
(黒石市HPより引用 http://www.city.kuroishi.aomori.jp/kankou/spot/kankou/komise/history.html

こみせの外観と特徴

こみせ通りの商家の間取りは、通り土間に沿って部屋が並ぶという特徴をもっています。間口の大きさによって、1列または2列に座敷が配置され、坪庭を設ける場合もあります。通り土間には天井を張らずに梁組を見せていることも特徴の一つです。

こみせの伝統的な形態は、構造が木造で、幅は1.6メートル前後、軒高は2.3メートル前後、屋根勾配は2寸勾配前後、天井は垂木となっています。また、前堰(現在は側溝)に雨だれや雪を落とすため、軒先が道路に出ています。江戸時代に形成されたこみせは、最盛期には総延長4.8キロメートルにも及んでいましたが、度重なる火災や車社会の発達などにより、大半が消失してしまいました。ところが中町周辺だけは、伝統的な形態のこみせが連続性を保ったまま保存されました。中町には、造り酒屋、米屋、呉服店、銭湯など、近代的な店構えにしなくても成り立つ商家が多かったうえ、昔ながらの重厚な店構えであったほうが商売上有利であったことが関係していると考えられています。また、長年住み続けている世帯が多く、共同体としての意識が高いことなども、中町にこみせが保存されてきた要因と言えます。

(黒石市HPより引用 http://www.city.kuroishi.aomori.jp/kankou/spot/kankou/komise/history.html

先日撮影した動画と静止画はこちら

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