小羊

引かれて行く

職場の近くに「食肉衛生検査所」なるものがある。ここで何が行われるのかは分からないが、名称から何となく想像できる。恐らくこの検査所に行くのだろう。職場前の道を豚を乗せたトラックが通過する。時々そのトラックを見かけてしまう。だいたい、一頭の豚が乗せられている。これから先のことを考えると苦しくなる。自分は肉を一切食べないのでこの世界から食肉が無くなっても全く問題ない。決してヴィーガンでは無い。食べることはしないが、洋服やバッグ、靴などは革製品が多い。食べることはなくても動物の命を身にまとっているのだ。だから、自分も牛を殺した張本人である

小羊

本の中で紹介されている聖書の言葉を読んで涙が流れた。一切口を開くことなく、自分の運命を受け入れて逃げることもなく十字架に向かうイエス様のことを思い浮かべたからだ。イエス様を殺しておきながら、その張本人の自分がまだ生きていることに釈然としない思いでいる。

「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。 主の腕は、だれにあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、 かわいた土から出る根のように育った。 彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、 われわれの慕うべき美しさもない。 彼は侮られて人に捨てられ、 悲しみの人で、病を知っていた。 また顔をおおって忌みきらわれる者のように、 彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、 われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、 彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、 われわれの不義のために砕かれたのだ。 彼はみずから懲らしめをうけて、 われわれに平安を与え、 その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 われわれはみな羊のように迷って、 おのおの自分の道に向かって行った。 主はわれわれすべての者の不義を、 彼の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、 口を開かなかった。 ほふり場にひかれて行く小羊のように、 また毛を切る者の前に黙っている羊のように、 口を開かなかった。 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。 その代の人のうち、だれが思ったであろうか、 彼はわが民のとがのために打たれて、 生けるものの地から断たれたのだと。 彼は暴虐を行わず、 その口には偽りがなかったけれども、 その墓は悪しき者と共に設けられ、 その塚は悪をなす者と共にあった。」
(イザヤ 53:19)

十字架の刑、その場でのイエスの言葉  河原久 牧師

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