良い勉強になったこと

保護者や生徒からの評価

自分は生徒のことになると周りが見えなくなってしまう。学校組織に所属するものとしてやるべき範囲があると思うが、その範囲がよく分からない。生徒に目が行くとその範囲を簡単に逸脱してしまうのである。本来決してしてはいけないことであるが家庭の問題にまで踏み込んでしまうことも時としてある。ある女子生徒の時もそうだった。お母様からの愛情を感じられないという子どもからの相談を何度も受けていた。勿論このようなことをそのまま母親に話したら大変なことになる。家庭内のことを学校に漏らしたということで生徒と母親との関係が更に悪化することが容易に予想できる。しかし生徒からの相談も深刻である。そして何とかして欲しいと要望をするようになってきた。幸いそのご家庭は学校から1時間ほどのところに住んでいらしたので一度母親とだけ面談することを承諾してもらった。学校で娘さんがどのように頑張っているか、周囲から認められたいと努力している様子などを報告した。「そのままでも十分に評価されているのに、まだ努力するお嬢さんはとても健気ですね。もしかしたらお母様がそういう風に頑張ってこられたんですかね?」と誘いの質問をしてみた。女子生徒が母親から受け入れられていないと感じるとき、その多くが母親と祖母(母親のお母さん)との関係に起因していることが多いことを経験的に知っていたのでそのような質問をした。「そうなんです。実は私の母は私をそのままの状態で受け入れることができない人でした。子どもの前に一人の女性として自分を育てたかったようで、女性はそんなことをしてはいけない、女性ならこれぐらいのことはできないといけない、というのが母の口癖でした。もしかしたら自分がそうされてきて嫌だったのに、無意識のうちに娘にもそうしていたかもしれませんね。」と母親の方から心当たりを話してくれた。「たといそうであったとしてもお嬢さんはお母さんのことが大好きですから心配いらないですよ。」と言うとお母さんは急に泣き出した。泣き出したというより号泣した。その後親子関係の大きな変化があったと嬉しそうに女子生徒が報告してくれた。本来この辺りの話には立ち入らないのが教員のモラルであると思うが、生徒の幸せという観点で考えるとどうしても自分が何かの行動を起こさなくてはいけない気になってしまう。そのように生徒ファーストで行動するため多くの生徒や保護者から信頼されてきたし、多くの相談を打ち明けられてきた。時には、あるお父様から自分には別の家庭があると打ち明けられたこともあった。評価されたいためにしているのではない。していることが評価になっているだけのことだ。だからそのような評価に気付きながらも気にすることなく、勿論それを鼻にかけることもなく仕事をしていた。

Aさんのこと

ある年、Aさんがいるホームルームを担任した。前の担任からAさんの指導には気をつけてください、と申し送りがあった。教員にとって申し送りは大事なことであるが自分は既往歴以外の申し送りをほとんど無視している。というか全く聞いていない。先入観ができてしまうからだ。生徒は学年が上がりクラスメイトも変化し担任も変わったところで心機一転頑張ろうとしている。全員ではないにしてもそういう生徒が多くいる。それなのに教員が古い情報を持ち続けることは決して良い結果にならない気がするので申し送りを聞かないのである。Aさんは嫌なことがあると直ぐに周囲のせいにして、また逃避する傾向がある。彼女の逃避は自宅に帰ること。一度自宅に戻ると1週間ぐらい帰ってこない。だから結構な数の欠席があった。逃避は自分を守るためにする行動で決して悪いことではない。逃避しないと更に悪い結果を招いてしまうこともあるので「学校を休むだけで済んでよかった」と捉えることもできる。しかしこのまま社会に出て行った場合同じようなことが起きたらどこに逃避するのだろうか。やはり自宅なのだろうか。それとも食べることや趣味、ギャンブル、飲酒に逃避するのだろうか。将来的なことを考えると逃避傾向を自分で理解してそれをコントロールできるようになる必要があると考え、「自律」を彼女の指導目標にした。新年度開始早々Aさんがやってきて「同じ学級に○○さんがいない。もう学校を辞めたい」と訴えてきた。早速きた。親友の○○さん以外の人と仲良くするのが苦手なのである。「おそらく○○さんも同じことを考えていると思うのでふたりで、各々の学級紹介やその日の出来事を毎日話し合う時間を持ったらどうかな?」と提案して見た。何とかその時はその提案に食いついてきたが1週間もしないうちに「同じクラスに親しい友人がいないから家に帰りたい」と訴えてきた。色々な提案をして見たが今回はなかなか埒が明かない。本人が家に帰ってリセットする以外に方法はない、の一点張り。仕方がないので「仮に家に帰ったとして、何日で戻って来られる?」と聞くと「1週間」というのでそれは長いからもう少し自分でコントロールできるようにしようと提案すると「4日」と訂正してきた。その約束の範囲でということで自宅に戻ることを許可したが、結局4日では帰ってこなかった。4日目の朝に高熱が出たので病院に行くとの連絡が入った。「そうですか。承知しました。学校にも説明しないといけないので診断書、或いはそれが無理でしたら領収書のコピーでも良いので持参してください。」とお願いした。結局1週間後に帰ってきたが診断書も領収書も持参していなかった。親御さんに催促の連絡をすると「実は病院には行かなかった。家でゆっくりしていたら次第に良くなっていったので様子を見て1週間で学校に帰らせた」とのことだった。一応失礼のない範囲で、今回の約束が4日であったこと、通院が必須というので、診断書か領収書のコピーを持参することをお願いしたがどれも守れなかったので次回同じような要求をされても応じられない可能性があることを丁寧に伝えた。因みにこのご家庭は毎回お父様が電話の対応をされる。こちらの説明に苛立ち喧嘩腰であることが伝わってきた。「学校のメンツのためじゃない。お子さんのためなのですよ。お父さんが本当の意味で協力してくれなかったらこの子の将来はどうなるのですか?」と心の中で叫んだ。この一件があってから、昨年とは違い簡単には家に戻してくれない状況を理解したのか自宅逃避の要望はその後ほとんんど無くなった。

2学期の懇談会で

本校の場合、保護者会は2日に分けて行われる。生徒による学習発表、担任との面接、舎監との面接を行いPTA総会やクラス懇談会などが行われる。高校3年生の2学期といえば年度も後半で懇談会の話題も「今まで3年間(一貫校なので長い人は6年間)お世話になりました。」と感謝の言葉が続き、それまでも決して楽ではなかった親業もこれでひと段落する安堵とこれまでを振り返って思い出すのだろうか涙を流す方が多い。そして私に対して感謝の言葉を述べてくださる。私に対する感謝は良いので…と話しても同じような内容になってしまう。そしてAさんのお父さんの番になった。「えー、皆さんはこの担任の先生に色々と面倒を見てもらい感謝をされているようですが、私は敢えて反対の意見を述べさせていただきます。」と私が至らなかった点について色々と挙げて話された。最初は驚いて動揺したが途中から「本当にそうだな。お父様のいう通りだな。」と思えるようになってきた。途中で別のお父様が「もうそのぐらいにしてもらえませんか。少なくとも私たちは担任の先生に感謝しているんだから。最後にそういうことを言われると気分が悪い。」と発言された。しかし自分はもう少しこのAさんのお父様の話しを聞いてみたかった。懇談会が終わってから足早に立ち去ろうとするAさんのお父様をお呼びしてそのあとの話しを聞かせていただいた。自分の欠点が浮き彫りになった。自分はAさんを何とかしないといけない、とは思ったがそのままのAさんを理解し受容しようとはしていなかったことに気付かされた。そのことをお父様にお話しして謝罪した。Aさんのお父様も「そこまでの話じゃないし先生に謝ってもらったらかえって申し訳ない」と恐縮されていた。が、とても大切なことを教えていただいた。彼女のためと言いながら、本当に彼女のためだけを考えていたのか。自分ならAさんを自宅に戻さない指導ができることを見せたかったのではないか。Aさんのためと言いながら結局は学校の都合で指導を行ったのではないか。もっと平たく言えば指導に従わない彼女に対して悪い感情を抱いていたのではないか。その全てが思い当たった。他の保護者がいる前で恥をかくようだったが、いつの間にか思い上がっていた自分を砕くのにはちょうど良いお灸だった気がする。

教員の勘違い

心の中では違うことを思っていても保護者は「先生」といって頭を下げられる。そういうことが日常的になっているのでいつの間にか教師は勘違いをするようになってはいないだろうか。保護者は自分に頭を下げているのではなく「先生」という権威に対して頭を下げているだけ。ひとりの人間として、決して頭を下げてもらえるような存在でないことは自分がよくわかっている。私たちの模範となってくださるイエス・キリストはこの件について明確に述べている

<聖書の言葉>

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。

マルコによる福音書10:43,44

今の言葉で言う「サーバントリーダーシップ」である。恥はかいたが非常に大切なことを学ばせてもらった経験である。

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