サタンの嘘

シナイ山麓

モーセ率いるイスラエル200万の民。度重なる神様に対する背信。そしてついに偶像を自ら作りそれを拝むことで自分たちの信仰心に満足を得させようとした。

人間が地上にふえるにしたがって、ほとんど全世界が反逆の側に加わった。今 度も、サタンは勝利を得たように思われた。しかし、全能の力は、再び悪の活動 をさえぎり、地上は洪水により道徳的堕落から清められた。「あなたのさばきが地 に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶ・・・・。悪しき者は恵まれても、なお正 義を学ばず、・・・・主の威光を仰ぐことをしない」(イザヤ 26:9,10)と預言 者は言っている。洪水後がそうであった。地の住民は、神の刑罰から解放される と、再び主に反逆した。この世は、神の契約と定めとを2度も退けた。洪水前の 民もノアの子孫も共に天の権威をかえりみなかった。そこで神はアブラハムと契 約を結び、律法の保管者となる民族を召された。この民をいざない滅ぼすために、 サタンはただちにわなを仕掛けてきた。ヤコブの子供たちは異邦の民と結婚し、 その偶像の礼拝に加わるように誘惑された。だが、ヨセフは神に忠実であった。 彼の忠誠は、真の信仰をたえずあかししていた。サタンがヨセフの兄弟たちにヨ セフをねたむ心を起こさせて、彼を異国に奴隷として売らせたのは、この光を消 すためであった。しかし、神は、エジプトの民にも神に関する知識が与えられる ように、これらのできごとを支配なさった。ヨセフはポテパルの家でも牢獄でも、 神を恐れつつ、国家の宰相という高い地位につくにふさわしい教育と訓練を授け られた。彼の感化力は、パロの宮廷から国土全体に及び、神を知る知識は遠く広 くゆきわたった。エジプトにいるイスラエル人も繁栄して富裕となり、神に忠実 な者はみな広範囲に及ぶ感化を与えた。
人類のあけぼの電子版 p276  律法に対するサタンの敵意

エジプトでのイスラエル人

イスラエルの民は元々神様の定めた方法で犠牲をささげていた。ところがヨセフの時代以降エジプトに住むようになりエジプトにおける価値観が犠牲として動物を屠ることを認めていなかった。

エジプト人は動物を迷信的に尊重していたために、ヘブル人は奴隷生活をし ている間、いけにえの供え物を捧げることが許されなかった。こうして、彼らの 思いは、犠牲を捧げることによって、偉大なるいけにえキリストに向けられるこ ともなく、彼らの信仰は弱まった。イスラエル解放の時がくると、サタンは強硬 に神の意志に反抗した。彼はなんとしても、200万人以上をかぞえるこの大い なる民族を無知と迷信の中に閉じ込めておきたかった。神が祝福してその数をふ やし、地上の強国にすると約束された民、そして、神がご自分のみこころを人々 に知らせるために用いようとされた民、すなわち、神が律法の保管者にしようと されたというそういう人々を、サタンは暗黒と束縛の中に置き、彼らの心から神 の記憶をぬぐい去ろうとつとめた。
人類のあけぼの電子版 p277  律法に対するサタンの敵意

異教の習慣

神様が決してゆるされないことがある。そのひとつが人身供養であった。聖書の神様は人身供養を決して要求しないし望んでもいない。恐ろしい罪だとしている。アブラハムがイサクをささげるように命じられたのは人身供養としてではなくアブラハムの信仰心をはかるためであった。が、異教の習慣には恐ろしいことに子どもたちを神にささげる習慣があった。

神の性質をゆがんで考えたために、異邦民族は、神の恵みを得るには人身御供が 必要だと信ずるようになった。そして、最も恐るべき残虐がいろいろな形の偶像 礼拝のもとで行われてきた。その1つは、偶像の前で自分の子供たちに火の中を くぐらせる風習であった。子供たちのなかで、この試練から無傷で出てくること ができたとき、民は自分たちの供え物が受け入れられたと信じた。このようにし て出てきた者は、神々から特に恵まれた者とみなされて種々の恩典を与えられ、 以後は大いに尊重され、どんな大きな犯罪を犯しても処罰されることはなかった。
人類のあけぼの電子版 p280  律法に対するサタンの敵意

似ているかも知れない

人身供養、人身御供など現代日本には存在しない。かつては人柱として自分の子どもや奥さんをささげた歴史もあったようである。何度作り直しても大雨で流される橋。何とかこれが流されないよう神に祈って与えられた啓示が人身御供だった。そのため人柱をたてた。その後その橋は決して流されなかった、という逸話がある沖縄の「真玉橋(まだんばし)」。

これとは全く違うと思うが、現代の教育がこれに似ている気がする。学ぶ意味もきちんと教えられないまま、学校や学問に子どもがささげられる。そこでうまくいく子は出世が約束されそうでない子は・・・。人の命の尊さが叫ばれている昨今ではあるが本当の意味で子どもたちが大切にされているだろうか。自分は時々分からなくなる。

2022827 礼拝「苦難を誇りとする」藤田 佳大 牧師

 

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