騙されないで

毎晩、次男と電話で話す。映像でのやりとりなので非常に便利である。毎日楽しい話を聞かせてくれるのでこの時間を楽しみにしている。おかげで温泉に行く機会が減ってしまったがそれでも電話で話せることが楽しくてたまらない。子どもは結構ナイーブなので1日の中でうまくいかなかったことや失敗したことを引きずっていることがある。

「僕はだめなんだ」と泣いている次男を励ますのは結構時間がかかる。親だからそう思うのかもしれないが、この子に悪いところや欠点を見つけることができない。今のままで完璧な子だと思っている。勿論、キリスト教の価値観でこの子が神から離れる「罪びと」であることは間違いない。それは否定しないのだが、やはりこれ以上ない立派な子だと心の底から思っている。でも自己嫌悪に陥り、うまくできない自分を責める子どもを見て苦しくなる。

電話の最後に必ず言うことがある。

父:「いい、サタンは嘘の天才だからね。ずっと嘘ばかり言っているから絶対に相手にしちゃダメだよ。サタンの声が聞こえ始めたら『イエス様、助けてください』って必ず言うんだよ」

子:「サタンの声ってどうやって分かるの?」

父:「人をがっかりさせる言葉は全部サタンの言葉だよ。でも天才嘘つきだから『そのとおりだな』って思っちゃうんだよ。例えば『お前はこんなに悪いことをしているのに、神様が赦してくれるとでも思っているのか?神様はお前などずっと前に見捨てているんだぞ」

子:「それ、心の中でよく聞く言葉だ」

父:「これがサタンの言葉だよ。人が悪い、と言うところまではその通りかもしれないけど神様はお前を見捨てている、というところは絶対に嘘だからね。神様は悪い人を助けるのがお仕事だから、これはサタンの大ウソだよ」

こんなやり取りをする。子どもに対してではない。毎日自分に言い聞かせていないとすぐにその気にさせられてしまう。

失望と絶望

ある牧師先生が「本来人には失望はあっても絶望はない」とおっしゃっていた。生きていれば瞬間的に「望みを失う」ことはある、つまり失望である。しかし「望みが絶たれる」ことはない、すなわち絶望は無い。特にクリスチャンに絶望はないはずだと言われた。

絶望は自惚れだ、と言われたこともある。始めは意味が分からなかった。解説してもらったのだが、自分の力でやろうとするから万策尽きて「絶望」に直面する。自分でやろうとするうぬぼれが絶望を生み出すと言うのだ。本当にその通りだと思う。しかし実生活において、自分で動くしかないことがほとんどである。黙って横になってうまく行くことはあまりない。

それでも神様は「わたしに頼りなさい」と仰る。

自分で

自分の力で立ち上がることも歩くこともできない時がある。それぐらい落ち込むことがある。そんな時は祈ることすらできなくて「祈りを導く聖霊様、わたしの心をさぐりそれを綴って言葉にして祈りにかえてください」と心に思うのが精一杯になってしまう。こう言う時は、比較的安全な状態であることを体験的に分かっている。しかし、自分の力で立ち上がり、歩ける時は要注意である。「自分で」やろうとする時だからである。自分でやるからうまくいかず、失望する。

妻からのメールで「謙虚と感謝を決して忘れないように」と教えられた。その通りである。

サタンは、迫害によって真理を粉砕することができなかったのを見て、 大背教とローマ教会の出現の原因となったところの妥協策を、ふたたび 採用した。サタンはクリスチャンを、今度は異教徒ではなくて、世俗の 事物に執着して、刻んだ像を拝むのと同様に偶像礼拝者となってしまっ た者たちと、結合させようとした。こうした結合の結果は、昔と同様に 有害なものであった。宗教の仮面のもとに、虚栄とぜいたくがほしいま まに行われて、教会は堕落した。サタンは聖書の教義をゆがめつづけ、 無数の者を滅びに陥れるような伝説が、深く根をおろしつつあった。教会は、「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰」を主張するかわり に、こうした伝説を支持し、擁護した。こうして、宗教改革者たちの非 常な努力と苦難によって確立された原則が、崩壊したのである。

各時代の大争闘電子版p291 アメリカ合衆国と建国の精神

しゅのみてにたよるひは

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA