キリストを体験する

リンゴの花

5月に入り桜の季節が終わったが周りにたくさんあるリンゴの木に一斉に花がつき始めた。毎日過ごしずつ開花していたがある時急に満開になった。自分はリンゴの花を見たことがなかった。色も形もまたどのように咲くのかも知らなかった。しかし今は毎日たくさんのリンゴの花を見るので、形状や色、咲いている様子など全てが頭に入っている。今まで見たことがなかったリンゴの花だが「見る」という経験を通過することによってそれを体験したものにしか語れない様子を語ることができるようになった。見たことも聞いたこともない、ましてや体験したことなど全くないことを書籍やネットで調べて、それをあたかも何十年も前から知っているように語るのが教師である。自分も含めて体験したことがないことをあたかも体験したかのように偉そうに語るのである。知らない、体験したことがないと正直に言えない因果な仕事である。そんな生活をしているから世間を全て知っているかのように語る知ったかぶり教師が大勢いるのである。

リンゴの花を初めて見て感じたことがある。「見る」という経験があって初めてそれを人に語ることができる。経験はしておらず書籍などによって頭に詰め込んだ知識は、それを人に伝えた時に十分に伝え切れない。リンゴの花を見たことがあればその匂いや花の作り、形状、花のつき方の特徴などをより立体的に語ることができる。

信仰も同じ

信仰も同じような気がしている。人から聞いた話の受け売りをする教会員も多くいる。しかし実際にキリストを体験した人の話は全く次元が違う。キリストと共に生きている人はまるでさっきまで一緒にいた実在の人物のようにキリストを語る。自分もそのような生活がしたく、教会でであったお祖母様の真似をして聖書通読に挑戦することにした。その方のように年に2回読み終えるペースには及ばないかもしれないが、とにかく時間を決めて聖書をきちんと読んでそこから神様が語っておられることを自分のものとすることができるようにしたい。聖書を読むこと、祈ること、単純だがこの二つはキリストを体験する上で欠かせないものだと思う。初心に帰って神様との関係をもう一度再確認する必要を感じている。

神はキリストを死人から復活させられたが、それは福音を通して不滅の命を現すことによってご自分の民を罪から救うためであった。同じように、キリストは堕落した人間を的生命に復活させ、彼らをご自分の命によって生き返らせ、彼らの心を希望と喜びで満たしてくださった。…
 キリストは人類を贖うためにご自身を献げてくださった。彼を信じる全てのものが永遠の命を受けるためである。この大いなる犠牲を理解するものたちはあらゆる賜物の中でも最も価値ある賜物、つまり清い心を主から受ける。彼らは金や銀、宝石よりも価値のある経験にあずかる。彼らはキリストにあって共に天の王座に着き、キリストとの交わりにおいて、キリストだけがお与えになる喜びと平安にあずかる。これらは心と思いと魂と力を持って彼を愛し、自分がキリストの血によって贖われた遺産であることを認める。彼らの霊的視力は世的な方策や目標によって曇らされていない。キリストが父なる神と一つであるように、彼らはキリストと一つである。…「キリストが私たちのためにご自身を献げられたのは、私をあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです」(テトス2:14)。キリストの献げものが完全であったので、全てのものは彼の恵みによって完全の標準に達する事ができる。彼の恵みを受け入れ、彼の模範に従う者たちについて次のように記されている。「キリストにあって完全。しみも汚れもない」。
レビューアンドヘラルド1907年5月30日

私たちの主イエス・キリストの父である神は、褒め称えられますように。神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」(エペソ1:3)。この憐れみ深く、豊かな備えのほかに、私たちは何を求める事ができるか。キリストの功績を通して、私たちはキリストにおいて天のあらゆる霊的な祝福で満たされている。神に近づき、神の臨在の空気を呼吸することは私たちの特権である。…キリストの臨在を離れては、平和、自由、勇気、力はない。
レビューアンドヘラルド1908年10月15日

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