生きている言葉

言葉

叫びながらの祈りから一夜明け、やはり重い気持ちのまま朝を迎えた。最近眠りが浅く、また長時間眠れない。眠いのに3時頃まで眠れずそれでいて5時前には目が覚めてしまう。今日も同じだった。「まだ生きているのか」と不謹慎なことを口走ってしばらくボーッとしていた。なんで生きなくてはいけないのか。そんなことばかり考えていたがしばらくして、久しぶりに中川健一牧師先生のメッセージを聴こうと思った。同じ教団ではないし、軽挙などいくつかの点で聖書の解釈は異なるが多くの面で同意できる解釈をされているのでこの先生のメッセージが大好きだ。しばらく前までこの先生のメッセージで聖書研究を2年ほどしていたことがある。動画のメッセージを視聴しようと思ったが、ここはラジオ世代、やはりpodcastで聴かせていただいた。ルカによる福音書の講解メッセージで、今日聴いたのが16回目、「荒野の誘惑」というタイトルだった。

イエス様がバプテスマを受けられて、聖霊により荒野へと導かれサタンの誘惑を受ける。3つの誘惑を受けるが、伏線としてアダムの受けた誘惑を中川先生は3つに分類しておられた。
即ちアダムの受けた誘惑は
①木の実を欲する肉的な誘惑
②食べても死なない、という誘惑
③目が開けて力あるものになるという誘惑
の3種類だという。そしてこの3つをイエス様も誘惑として受けたのだと解釈する。

即ちイエス様の受けた誘惑は
①石をパンに変える肉的な誘惑
②飛び降りても死なないという誘惑
③神殿から見えるものをすべて与えるという、力に関する誘惑

アダムが全ての誘惑に負けたのに対してイエス様は全てに対して「聖書の言葉」で勝利した。イエス様の用いられた言葉は全て聖書の申命記からの引用である。イエス様が勝利されたのは神様の「言葉」を用いてであった。

生きる言葉

人を元気にする言葉、勇気づける言葉がある。「ありがとう」「お疲れ様」「愛しているよ」等々。また格言のような言葉で人を正しい道に導くこともある。これらは人を生かす言葉である。今朝与えられた聖書の言葉が次の聖句だった。

「というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。」
ヘブル人への手紙 4:12 口語訳

神様の言葉は生きている。神様は言葉でこの宇宙とその中の全てのものを造られた。どれだけ人が他の人を励ます言葉を発することができても、言葉で宇宙をつくることはできない。神様の言われる「生きている言葉」というのは私たちが日常的に使う「生きている言葉」或いは「人を生かす言葉」とはかなり違うものであることがわかる。

サタンからの攻撃、誘惑を受けた時に、日々食している神様の言葉で対抗しなくてはならないと中川先生は教えてくださる。誘惑や困難、試練に立ち向かうためには日々食している御言葉で対抗しなくてはならないと教えてくださる。

危なかった

昨晩は本当に危なかったのかもしれない。生きている意味を見出せず、神様に対する信頼を失い不信仰なことをずっと考え願っていた。問題は何も解決していない。未だに神様は沈黙されているが、一方で中川先生や聖書の言葉を通して誤った考えを正してくださった。

荒野に導いたのは聖霊様である。この荒野で誘惑を受けることを神様はお許しになった。そして今自分はその荒野にいる。ならば生きている神様の言葉で、サタンからの攻撃に勝利しないといけない。

中川先生は最後に仰っていた。「自分を鼓舞して、勇気を出して戦うんじゃないですよ。自分を奮い立たせるのではなく神様の言葉で生きるのです。難しく考えてはいけません」と。

もう一度祈ってみよう。

 

ルカの福音書16「荒野の誘惑」中川健一牧師(podcast)

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA