忠告
昨晩もあまり眠れず朝方3時過ぎに起きてしまった。疲れているし眠りたいのだが目が冴えている。少し聖書を読んでみた。眠くなることを期待したがそうはならなかった。いつも読んでいる聖書以外の書物に手を伸ばしてみた。が、やはり同じだった。
今読んだ聖書と書物に書いてあったことを思い返してみた。考えてみると同じことが書かれていた気がした。
キリストはペテロに、奉仕の条件をたった1つだけ言われた、「わたしを愛するか」。これが最も大切な資格である。ペテロに他のものが全部 備わっていたとしても、もしキリストを愛する愛がなければ、神の羊た ちを牧する忠実な羊飼いになることはできなかった。知識、博愛、雄弁、 熱情、これらすべてはよい働きに欠くことのできないものであるが、心 にキリストヘの愛がなければ、キリスト教の牧師の仕事は失敗である。
キリストヘの愛は気まぐれな感情ではなく、生きた原則であり、心の 中にある変わることのない力としてあらわれるものである。羊飼いの品 性と品行が、彼の主張する真理をよく示しているならば、主はその働き を承認する印を押して下さる。羊飼いと羊の群れは、キリストにある共 通の望みによって結ばれ、1つになる。
患難から栄光へ電子版p397 忠実な羊飼い
イエス様を心から愛することが求められている。そして今朝送られてきた聖書の御言葉にまたびっくり。
「あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。」
申命記 6:5 口語訳
明らかに神様からの忠告である。神様に対する信頼を失い、神様以外のものを頼っていたことを気づかされた。
ペテロ
聖書を読んでいると、時々おかしくなるときがある。思わずツッコミを入れたくなる。特にツッコミたくなるのがペテロ。ペテロの発言に対して「お前が言うな!」とツッコミながら読んでしまうことがある。
イエス様が将来、犠牲の死を遂げることを弟子たちに話した時には「先生、そんなことを言ったらまずいですよ」とイエス様を諌めたペテロ。ある本によれば、このときペテロはイエス様ではなく自分の将来を案じてそのような発言をしたと説明されていた。イエス様の死を間近に控えている時でさえ自分のことを優先するペテロ。彼が、イエス様を知らないと言ってしまった後悔に押しつぶされそうになりユダのあとを追うことも頭によぎった。それでも、イエス様が自分に向けてくれたあの眼差しを忘れることができず自死を思いとどまった。もう、他の使徒の所には戻れないと思っていた時にもイエス様はペテロの落ち込みと自責の念を理解し「弟子たちとペテロに・・・」とペテロを名指しで指名してくださった。イエス様のもったいないほどの愛があったからペテロは立ち直れた。
戦列に復帰した時に、3度もイエス様から「わたしを愛するか」と問われた。3度目にはもう答えようがなくて「あなたがご存知です」と言った。
あなたはすべてを存知です
ペテロが言った
「主よ、あなたはすべてをご存知です。わたしがあなたを愛していることは、お分かりになっています」(ヨハネ21:17)
を勝手に解釈するならば
「イエス様、わたしはあなたを心から愛したいと思っています。しかしそれができなかったので自分がいかに愛のない人間かを自覚しています。イエス様を愛したいけど、『愛しています』などとはとてもじゃないけど言えません。わたしの心の全てをイエス様はご存知のはずです」
となる。
今日、忠告として与えられた神様を愛すること、それが自分にはできないことをよく知っている。それほどの愛情を持ちたいと願いながらいまだに手に入れることができない。
自己放棄と安全
ペテロは、自己放棄へと導かれて、完全に神の力により頼むようにな ったときはじめて、大牧者のもとで働く羊飼いとしての召しを受けた。 キリストは、ペテロがキリストを拒む前に、「あなたが立ち直ったときに は、兄弟たちを力づけてやりなさい」と、ペテロに言っておられた(ル カ 22:32)。このみことばは、この使徒がやがて、信仰に導かれる はずの人々のためになさねばならない、広範で効果的な働きのことを意 味していた。ペテロ自身の罪と苦しみと悔い改めの経験が、この働きの ために、彼を準備させたのであった。彼は自分の弱さを知るまで、キリ ストにより頼むことの必要を悟ることができなかった。誘惑の嵐のただ 中で彼は、人は自己を全く放棄して救い主により頼む時にはじめて、安 全に歩むことができるということを理解するようになっていた。
患難から栄光へ電子版p396 忠実な羊飼い
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