教える、教えられる

職場にて

毎日職場で色々なことを教えていただいている。早く仕事に慣れて少しでも職場に役に立ちたいと思っているがなかなかうまくいかない。まず仕事が覚えられない。今教えてもらっている仕事は透析患者さんの送迎。家までの道順を教わっているがメモをしながら何とか覚えようとしているが土地勘がないため思うように覚えられない。また致命的なのは病院から各自宅までの道は何と無く憶えているが先方から別の方の住宅までの道順は全くわからない。常に病院をスタートにしないと分からないのである。教えていただいているのになかなか理解できないので本当に申し訳なく思っている。あまりにも役に立たないので、時間外にコンピュータの入力作業などを毎日1時間から2時間手伝っている。役に立たないことが本当に苦痛で仕方ない。ところで教えて頂く自分に問題があるのだが、教員をしていたせいか教え方にもそれぞれタイプがあることを理解した。基本的に教えることがあまり得意でない人が多いのが一般の職場なのだと思う。自分が教えて頂く立場であれば、まず全体的なところから徐々に細部の説明に入っていくことの方が理解しやすい。が、ほとんどの方はいきなりコアな部分から教えようとする。また教えるよりも自分でやった方が早いので口頭で教えはするが作業は全て自分がしてしまうタイプの方もいらっしゃる。もともと津軽弁が理解できないから話の3割程度しか分かっていない。野球選手ならそこそこの成績だが教えて頂くものとしては3割打者はきつい。せめて7割は行きたい。

イエス様の教え方

イエス様は実践教育と例え話による教育が多かったように思う。湖上を歩くイエス様をみたペテロは自分もそのようにしたいと願った。イエス様は「あなたにはまだ早い」とも言わず「ではこちらに来なさい」とペテロに湖上を歩くよう促した。最初は歩けたが足元の荒波を見て怖くなると途端に溺れてしまった。不信仰によってこの世の恐怖に溺れてしまうことを実践的に教えられた。また一見分かりやすいようで実は内容が深くて濃い例え話をされることも度々あった。その教育により弟子たちはよく考えるように訓練された。しかし何よりも学ぶべき点は「愛情」である。自分も教員時代、イエス様の教育の根底には常に愛情があることを発見しそれを真似するようにしていた。愛情でしか子どもは育たない、というのが自分がイエス様から学んだことだ。知識を増やしたり計算力をつけるだけならば愛情は特に必要ないのかもしれない。しかし人間が全人的に成長するためには必ず愛情がないといけない。また、学ぶ側も常に教えてくださる方に対してリスペクトの気持ちを持っていないと学べないように思う。すなわち教育は愛情を根っこに持ち、人と人との人格的な交わりの中でのみ全人的な教育というものが成立すると思う。教員ではなくなったが、常に人に教えられ、教えることができる品性を磨いておきたいものである。

Make Me a Servant

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA