思い出

iPhoneの初期化

昨日、余計なことをしてしまった。iPhoneのOSをアップグレードしようとしたが操作を間違えてしまい結局工場出荷時の状態に戻さないといけなくなってしまった。そうしなくても良い方法を色々調べたがその時点で他の方法が見つからずそうした。実は家にネット環境が無い。コンピュータやiPadはiPhoneでテザリングして使用しているので普段の生活にはほとんど支障がない。どうしてもネット環境が必要なときだけdocomoのwifiがあるところに行ってそれを利用している。が、昨日はそれができなかった。ネット環境がないのにある程度までPC経由でできてしまったのでそのまま放置したiPhoneが動かなくなってしまった。それで仕方なく初期化した。その後の操作でもネット環境が必要だったので夜だったが車でdocomoのwifiが利用できるところに行き何とか電話としては昨日する状態まで復旧することができた。そこからアプリを調べながらひとつずつダウンロードした。まだ全体の1/4ぐらいしかダウンロードしていないのでこれからが大変な作業になる。アプリをひとつずつ戻して設定していく作業を続けなくてはならない。ひとつひとつにアカウントやパスワードを入力するがどれに何を設定したかなど忘れているので復旧が非常に大変なことになっている。またApple Watchとのペアリングも切れてしまい連携できない状態で使っている。日頃からバックアップはとっておかないといけないと思いながら日常的に問題なく使用できている時はそれがなかなかできないのである。そしてこういう事態になって後悔する。こんなことを何度繰り返してきたことか。

データ消失

アプリをひとつずつ戻していく作業も非常に大変だが、今日になって気づいたことがある。大事にしていた子どもとの思い出の写真が結構消失してしまった。これは本当に痛い。今手元に子どもがいて一緒に暮らしていても痛い失敗だが、子どもと離れている今、子どもたちの写真がどれほど貴重なものか。テータが戻ってくるならいくらでもお金を出せる。本当にショックである。思い出として心には残っているが写真があるのとないのとでは大きな違いがある。

神様との思い出

失った写真で何となく考えたことが、神様との思い出。写真こそないけれど人生の節目節目で神様との思い出がある。本当はたくさんあると思うのだが直ぐには思い出せない。人生をもう諦めようと思って車ごと海に突っ込んだ時に神様が助けてくださったこと。土砂降りの雨の中、車を脱輪させてしまいバーストしたタイヤを見て途方に暮れている時に助けてくださったこと。子どもの絶体絶命のピンチを救ってくださり非常に難しい手術を何度も成功させてくださったこと。自動二輪の免許で不合格確定の乗車であったにも拘わらず合格させてくださったこと。大学で唯一落としそうになった科目の単位を奇跡的に取得できるように導いてくださったこと、等々。神様との思い出はいくつかある。家族と神様を比較した時に思い出の数はどちらの方が多いかと聞かれたなら間違いなく家族の思い出である。しかし本当はとても失礼なことのように思えてきた。毎日毎日自分のようなものを愛して助け続けてくださっているのにその思い出が少ないのは本当に申し訳ない。こういうところをとっても自分が神様と歩んでいないことが分かる。もっともっと神様と個人的に交わり共に歩んでいる思い出をたくさん作りたいものである。

As a Little Child【DisciplesR2 × 39praiser (Op.01)】

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