思い出

写真

昨晩遅くに同級生から電話があった。音楽活動、というほどでもないがアカペラの讃美歌を歌うグループを一緒にやっている友人である。中学時代からの旧友であるがクリスマスのオンラインクリスマスコンサートで使いたいので昔懐かしい写真を送ってほしいとのことだった。夜遅かったがすぐに引越しの荷物で開封していないアルバムの入った段ボールを倉庫から持って来て探してみた。

懐かしい写真が次から次へと出て来た。本当に懐かしい。動画が主流になった昨今、ペーパーベースの写真はとても雰囲気があって良いものだと痛感した。実は以前に紙の写真を全てスキャンして保存し、アルバムは全部処分しようと思っていた。実際、かなりの量の写真があるのでなんとかしなくてはいけないのも事実である。が、今回改めて紙の写真が持つ雰囲気に感動した。デジタルは劣化しないが紙の写真はアルバムに収納していても変色などの劣化を起こす。これがまた良い味になっている。

過去の自分に

過去の写真を見ながら、色々なことを考えさせられた。「この時代は純真だったな」「このとき山に松茸を探しに行くのが楽しみだったな」「この時○○さんのことが好きだったな」等々。その時の自分に戻って多くのことを思い出す。そんなときふと思ったのが「この時の自分に忠告できたらいいのに」ということだ。

「今が一番調子に乗っている時だからサタンの囁きに耳を貸さず神様に従っていないと大変なことになるぞ」「今は受験勉強で苦しいけど必ず来年合格できるから信仰をもって頑張れ!」など忠告と激励をしてあげたい。そして失敗人生を送ることがないよう支えてあげたい。現実的ではないそのようなことを考えるひと時だった。

「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。」
ヤコブの手紙 1:19-25 口語訳

こんな忠告を真剣にしていたら今のような自分にはならなかったと思う。

三本の十字架にかかった人たち | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係(最終話)

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