高校時代の思い出

卒業式

何度か書いたが今日2021年1月24日は高等学校の卒業式。恐らく県内で一番早い卒業式だと思う。自分が担任として関わった最後の学年ということもあり、式典には参加していないが祈る思いで同じ時間を過ごしていた。気になる生徒、どうしているだろうかと心配になる生徒、希望の大学に合格できたかが気になる生徒等々、ひとりひとりの顔を思い出していた。また一緒に過ごした非常に短くまた濃密な時間のことを丁寧に思い出していた。ちょっとしたことで女子の人間関係が崩れてしまったこと、家庭の危機で毎日心を痛めていた生徒のこと、助産師になったら働きたいと希望していた病院が急遽産科を閉じてしまって困っている生徒のこと、途中で留学のため転校していった生徒のことなど。ひとりひとりとの関わりに思い出があり交わされた言葉を反芻するように思い返す。居て当たり前だった存在が卒業式を境に急に居なくなってしまうことの違和感。これには何年教師をして居ても慣れない。そして自分の卒業の時もこれにはかなり滅入ってしまった。

海物語

もう40年前の話だから忘れてしまったことも沢山あるが高校生活は実に充実していた。1年から3年まで各学年で色々な思い出があって懐かしい。2年の時にホームルームである島に行ったことがあった。瀬戸内海に浮かぶ小さな島だが戦時中は特別な兵器を作る島として地図から削除されていたところだ。初夏の日差しが眩しく感じる日だったが、いつもと違う場所で礼拝をするためにこの島に来た。午前中は礼拝のプログラムを行い昼食後全体でのレクリエーションを楽しんだあとしばらく個々に過ごす時間があった。兵器を作る工場跡は少し不気味だったので海岸で遊んでいた。誰からともなく「泳ごう」という話になり泳いではいけないという先生の注意を無視して海に入ることにした。その時いたのは男子5人。用意の良い人が必ずいる。海パンを持っている友達がふたりいた。そこでまずふたりが海パンを履いて海に入り背丈ぐらいの深いところまで行くと海パンを脱いで海岸に投げる。そして次のふたりが海パンを履いてまた海に入る。そして最後にひとりの海パンを海岸に投げて最後の人が海に入って完了。みんな深いところで泳いでいるが5人中3人は何も履いていない。海から上がる時も同じ要領でふたりずつ海パンを履いて上がり着替えたところで海パンを海に投げる。往路と違うのは最後のひとりが残ったところでいたずら好きな自分たちは海パンを海に投げる代わりに女子を全員呼んで来た。彼は集合時間になっても海から上がることができず泣きそうになっていた。くだらない遊びだがそんなことが懐かしくてたまらない。
3年になると同室のメンバーを自分で決めることができる。自分は仲の良かったkenjiと同室になることにした。後輩も仲の良かったふたりを選び4人が同室のなった。受験勉強に追われる自分とkenjiは毎日のように必死に勉強した。夜に強い自分は0時過ぎまで勉強した。朝に強いkenjiが毎朝5時に起こしてくれ、その時間から勉強を始めた。自分は3年の夏休みから2ヶ月間停学になっていたのでその間は学校にいなかったが、学校にいる間は常にkenjiがいた。

kenjiの恋話

kenjiは2年の頃からchakoが好きだった。その気持ちは何度か聞かされていた。chakoはとても性格が良く明るくて誰からも信頼される女子だった。奥手のkenjiはなかなchakoに思いを伝えることができない。恐らくchakoもkenjiの気持ちが分かっているはずなので気持ちを伝えたところでchakoが動揺するとも思えない。高校生活ももうすぐ終わるから気持ちを伝えたら、と促すと「じゃあ、やってみる」とのことだった。ただ気持ちを伝えれば良いだけなのだが何故かkenjiはケーキに拘っていた。自分たちの頃はすごく雰囲気が自由で大きな街に参考書を買いに行きたいと言うと許可が出た時代だった。もしかしたら自分たちだけが特別だったのかもしれないがとにかく、ある金曜日に外出ができた。kenjiとふたりで外出し赤本などを買ったあと本題のケーキを買った。何故か5個のケーキを買ったのだ。理由を聞くとchakoの部屋も4人部屋だからみんなで分けてchakoがふたつ食べると言う計算らしい。とにかく買うものを買って学校に戻り夜にchakoを呼び出して渡すことになった。が、ここに来て急にkenjiが弱気になった。折角買って来たんだから渡そうと言っても「やっぱり迷惑だと思うからやめよう」と言う。今更何をいうのか。どうでも良い押し問答が20分以上続き結局ふたりで1個ずつ食べることにした。でもまだ3個残っている。今からでも渡しに行こうと言ったがなかなかいうことを聞かない。「じゃあ、自分がkenjiに代わって渡してくる」と言っても「それだけはやめて欲しい」という。結局また1個ずつ食べた。でも最後の1個が残っている。これだけは渡したいと少し強めに言うと、いつも穏やかなkenjiが狂ったように最後の1個を取り上げ食べてしまった。このままのkenjiをchakoに見せてあげたかった。結局kenjiとchakoは仲良しではあったが友達止まりの関係で終わってしまった。「チャコの海岸物語」ならぬ「chakoのケーキ物語」である。

卒業式の翌日

卒業式では何故か自分のような不良品が卒業生代表に選ばれてしまった。卒業生代表は卒業式で「答辞」を述べなくてはならなかった。何日も考えたがこの生活が終わってしまうことの悲しさが一番大きくなかなか良い文章を仕上げることができなかった。本当は自分たちを支えてくださった先生方や両親に感謝の言葉を述べなくてはならないのに「寂しい、悲しい」とばかり言ってしまった気がする。そして卒業式に来てくれた母と式後東京に帰った。翌日は東京理科大の受験日だった。悲しんでいる暇はなかった。翌朝、起こしてくれたのはkenjiではなく母だった。寮ではベッドから横をみると反対側のベッドのkenjiがいた。が、もうkenjiはいない。住みなれた自宅なのに異国の地にひとり取り残されたような気分だった。本当に悲しかった。卒業は別れだけでなく次に出会う人や環境への準備だと思う。しかしあの頃の自分は未来に対する期待や希望よりも過去からの引力の方が数倍強く地に足がつかない生活を続けていたことを思い出す。今日卒業したひとりひとりが同じような気持ちになっているのかもしれないが、どこにいても決して変わることのない神様が共にいることだけは忘れないで欲しい。

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