思い出

小さい頃、今では見る影もないが痩せすぎており虚弱体質だった。小学校に入学するも持病の頭痛が頻発し欠席も多かった。一度は普段とは違うお医者さんにかかり「脳膜炎」との診断を受け即入院となってしまった。実際には脳膜炎ではなかったのだが1週間ほど入院した。両親は自分が健康でないことを心配し柔道を習わせた。習うのは良いが練習が厳しくて、またうまくできないと竹刀で叩かれるので道場に行くのが恐怖でならなかった。結局健康体にもなれず、柔道の技も上達しないうちにやめてしまった。

何で自分は頭痛で悩まないといけないのだろう、と子どもながらに思って居た。病弱だったが少しだけ良いこともあった。東武東上線、中板橋駅が地元であるがこの線路を隔てた弥生町というところにかかり付けのお医者さんが居た。車など無いので母が自転車に乗せて診療所まで連れて行ってくれる。かなり牧歌的というか解放的な雰囲気で診察室と待合室が同じ部屋である。必ずお尻に注射をされるのだが毎回泣いてしまう。すると順番待ちをしている患者さんが「ぼく、頑張れ!男の子だから泣かない!」と激励してくれる。痛い注射を打たれてまた自転車で帰るのだが、決まって母がアイスクリームを買ってくれる。「みんなには内緒だよ」と言って食べさせてくれる。これが嬉しくてたまらなかった。自分は勉強も出来ないし落ち着きも無いので母からは叱られることが多いのだが、こうして優しくしてくれる母が大好きだった。

高校生の頃から少し母親に反抗するようになってしまいそれが結構長期間続いた。特に浪人中は自分を合格させなかった大学をはじめ社会全体が敵に思えていた。そして社会の代表として母親に八つ当たりしていた。本当に情けないことである。聖書の教えで「両親を敬え」とあるのに、それが真理だと信じているのにどうしても母親に対して素直になれなかった。本当は心の底から大好きな存在なのに。思い出しただけでも、その頃の自分を殴りたくなる。自分の対応にも常に優しく接してくれる母、いつもいつも心の中で「お母さん、ごめんなさい」と言い続けていた。

今回、この春から転職した時も母が就職祝いだと言って大金を渡してくれた。実際には自分たち兄弟が毎月両親に仕送りをしている。そのような経済状態の中で本当に大金を渡してくれたのだ。受け取らない、と何度も断ったが「どうしても受け取ってくれ」と泣かれてしまったのでとりあえず預かることにした。こんなバカ息子のこともいつも気にかけてくれる両親、そして母なのだ。

そんな母が

夜は結構早めに寝てしまう。運転の仕事なので居眠りをしてはいけないので22時過ぎには寝てしまう。また朝早く起きてお祈りをするので、遅くまで起きていると早く起きられない。昨晩というか日付が変わって今日の1時頃に姉からLINEが入っていた。朝の4時に目が覚め確認したところ、母の体調が悪く今日病院に行くことになっている、とのことだった。症状が書いてあったので素人ながら「帯状疱疹」ではないかと思った。眼底の痛みと頭痛。恐らく眼部帯状疱疹ではないかと思った。実はかつて受け持った生徒が母と全く同じ症状だった。彼はその後左目の視力を失った。まだ中学3年生である。

義兄が朝から母を病院に連れて行ってくれる予定だったが痛みが強すぎるため救急搬送された。皮膚科の対応ができないとのことで脳神経外科で即入院となった。やはり帯状疱疹だった。自分は帯状疱疹の経験が無いのだが、吐き気や頭痛、眼底の痛みを想像しただけで泣けてくる。母がどれだけ苦しい思いをしたのか、一睡もできず苦しんだことを想像しただけで心が壊れそうになる。

自分のせいで

帯状疱疹は自己免疫力が低下した時に、神経に潜んでいた水痘・帯状疱疹ウイルスが活性化することで発症する。この自己免疫力の低下の原因には色々なものが考えられるがストレス、家老、加齢が挙げられる。この「ストレス」に心当たりがある。実は2,3週間ほど前に母に対して少し強い口調で言ってしまったことがある。母は認知症なのでいま話したことをすぐに繰り返す。それをよく理解しているので何度でも同じことを話すようにしているのだが、自分が触れたく無い話題を何度も何度も蒸返したので、少し感情的になってしまい「お母さん、その話はもうよそう!」とかなり強い口調で言ってしまった。かなり冷たい雰囲気の間があり、しばらくの沈黙の後母が「じゃあ、無理しないでいつでもこっちに帰って来なさい」と言って電話を切った。

普段優しく接している自分が、昔の反抗期のような口調で言ってしまったのでそれが心に残りストレスになってしまったのだと思う。母を病気にしたのは自分だ、という気持ちでずっと後悔し祈り続けた。

帰って来なさい

いつも母は、「無理しないで帰って来なさい。青森にいても友達がいないんでしょ?うちに帰って来なさい」と何度も何度も言ってくれる。この言葉を聞くと泣けてくる。自分だって帰りたい。仕事があるのなら、収入につながることがあるのならすぐにでも実家に戻りたい。ばかみたいな話だが、在宅でできる「映像クリエーター」を真剣に考えたこともあった。しかしすぐに収入につながるかどうか、恐らく無理だろう。だからありがたい誘いだが「大丈夫だよ、こっちには友達もたくさんいるし毎日楽しくやっているよ」とうそぶく。友達などいない。青森にきて楽しいと思ったことは一度もない。ただ神様とだけ生きているので充実はしているし無意味では決してない。でも何度も実家に帰りたい気持ちになった。優しい母のいる実家にいますぐ帰りたいと何度も思った。仕事で102号線をよく使うのだが、運転しながら「神様の時が来たら、この道を通って東京そして広島に帰れますように」といつも祈る。

実家に帰りたい。そしてイエス様が迎え入れてくださる永遠の御国に帰りたい。

20210925礼拝 説教 東清志

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