母の日

昔の記憶

先日、母の日のプレゼントを送った。配達指定をしたのだが「5月5日から8日の間のどこかで配達する」ことしかできないと言われた。母の日、8日に届いて欲しかったが仕方ない。結局6日に届いてしまった。すぐに両親から電話があった。プレゼントが届いたことを知らせる電話ではあったが少し話しているうちに母の体調が思わしく無いことを知った。以前の帯状疱疹が原因かどうかは分からないが失明の可能性や命の危険も指摘されたという。認知症を患っているのでどこまでがお医者さんの診断なのかが良く分からない。とりあえず姉にも相談し、紹介状を書いてもらった先の獨協大学病院に一緒に行って医師の診断を聞くことにした。とにかく健康面は衰える一方なので不安で仕方がない。しかし、掛かってきたお礼の電話はとても穏やかで明るかった。

自分も歳をとったのか、両親のことを考えると感謝で胸が熱くなり同時にもう戻れない自分が子どもだった頃を思い出して涙を流してしまうことがある。自分一人の力で生きている錯覚をして何にも頼らなくても生きていけると勘違いしていたあの頃。困ったことがあれば両親に相談すれば良い。叱られることはあっても必ず解決してくれた。何でも話し、文字通り「果報は寝て待て」状態でいつの間にか苦難は通り過ぎてしまっていたあの頃。本当に懐かしい。

家が工房で常に自宅には両親、祖父母、職人さんがいた。そのような環境だったので仕事場に行って父と話をするのが大好きだった。ハンドバッグを作りながら色々な話をしてくれた。ネタがなくなれば父の落語会が始まる。これが特に好きだった。一方、母は兄弟の中でも特にできに悪い自分に注意をすることが多かった。というより、兄弟の中で叱られるのはいつも自分だけである。姉も弟もきちんとしている。自分だけがどうしてもうまくいかないのである。自分が悪いのだが、注意を繰り返す母を少し避けていた気がする。

叱られることが多い自分ではあったが、母に対してとても感謝していることがある。昔から母のこの部分が大好きだった。それは、前日どれだけ叱られても翌朝は全く記憶にないと言った感じで明るく挨拶し接してくれるところだ。あれだけ酷く叱られれば翌朝も小言から始まって良いはずなのに全くそうでは無い。全く新しい気持ちで自分を受け入れてくれている。だから自分はいつも親から見捨てられるかもしれないという不安を持ったことがない。もっとも、どの家庭にもあったはなしだが「お前は橋の下で拾ってきた子だ」とは何度も言われた。拾ってきた割には過ぎるくらいの愛情を注いでもらった。

風前の灯のような命かもしれないが、自分には掛替えのない尊い命なのである。母のことを書いていたらまた目頭が熱くなった。

お母さん、ありがとう。

わたしこそ、わたし自身のために
あなたのとがを消す者である。
わたしは、あなたの罪を心にとめない。
イザヤ43:25

讃美歌1編 510「まぼろしの影を追いて」多重録音

 

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