むっちゃんとおばあちゃん 2

2学期最初のお見舞い

夏休みが終わって2学期になった。新学期早々むっちゃんが来て「先生、おばあちゃんのところに行きましょう」と言った。彼女もずっとおばあちゃんに会いたかったようだ。直ぐにおばあちゃんのいる病院に行ってみた。ところが…おばあちゃんのベッドには誰もいなかった。病室が変わったのか或いは退院したのかと思い看護師さんに聞いてみた。するとおばあちゃんは容態が悪くなり遠くの大きな病院に転院したとのことだった。容態が悪くなった?、肝臓の数値が悪いだけじゃなかったのか?少しだけ嫌な予感がしたがそのまま1時間ほど離れた病院に行ってみた。おばあちゃんがいた。久しぶりに見るおばあちゃんだったが7月に見たおばあちゃんとはかなり違う。黄疸が出ており素人目にも状態が良くないことは理解できた。しかもベッドで起き上がることもできず、少し目を開けてか細い声で「むっちゃんかい?よく来たね。会いたかったよ。」と言った。むっちゃんも何かを悟ったのか努めて明るく「おばあちゃん、とっても会いたかったよ。でもおばあちゃんの顔を見ることができて安心したよ。」と話した。おばあちゃんの様子から会話ができる状態でないことは良くわかった。なので少しの時間、おばあちゃんの耳元で夏休みの出来事などを話した。目を閉じながら、でも時々軽く頷いてむっちゃんの話しを聞いていた。5週間の夏休みがおばあちゃんをこんなにも変えてしまうことを痛感した。病院が遠くなったこともあり前ほどお見舞いには行けなくてなったがそれでも2回ほどお見舞いに行った。いつものようにおばあちゃんは目を瞑って時々頷く状態だった。お見舞いの帰りには毎回「おばあちゃん、そろそろ帰るから」と言ってむっちゃんは讃美歌を歌ってそのあと枕元でお祈りをした。讃美歌を歌うと毎回おばあちゃんは頷きながら涙を流した。1学期とは違ってお見舞いの帰り道が何とも重苦しい雰囲気に変わった。

体育祭の日

盛り上がる学校行事の一つが「体育祭」である。所謂運動会。勿論運動の苦手な生徒もいるので全員が楽しんでいるわけではないと思うが、本校の体育祭は色々な性質の競技があり運動が苦手でも楽しめる。徒競走では普段見ることのできない生徒の緊張した表情を写真に収める事が出来た。クラブ対抗リレーはもはやパフォーマンス大会。各チームが真剣に練習したダンスを基本とした応援合戦。全員が必ず50m以上を走らなくてはならない全員リレー。そしてホームルーム対抗の「先生万歳!」。担任がバトンとなり2人3脚、3人4脚、馬跳び、大縄跳び、タイヤ引きなどとにかく担任が倒れるくらいハードなリレー等々。何度も練習した甲斐あって先生万歳では私たちのホームルームが優勝した。体育祭の夜は任意ではあるがほとんどの学級で「お疲れ様会」のクラスパーティーを行う。勿論私たちのホームルームもパーティーをしたのだが、会の最初で少し胸騒ぎがして「今日のうちにおばあちゃんのところに行っておいたほうが良い」気がした。むっちゃんの他におばあちゃんと知り合いだった生徒が3名いたので、クラスリーダーにパーティーを任せて私たちはおばあちゃんのところに出かけた。1週間ぶりだったが明らかに弱っている。肩で呼吸をするようになり意識もない状態。病室に入って「むっちゃんが来たよ」と言ってみんなで枕元を囲むように集まった。少し辛そうにしているので生徒たちが背中と足をさすった。苦痛の表情を浮かべる意識のないおばあちゃんに向かって彼女たちはいろいろなことを語りかけていた。「おばあちゃん、今日は体育祭があったんだよ」「むっちゃんのホームルームは1番になったよ」「おばあちゃん、なかなか来られなくてごめんね」などと語りかけた。時々おばあちゃんは痛みに顔を歪めるような表情をして「うぅー」と苦しそうな声を出す。私は耐えきれず、看護師さんのところに現状を話しに言った。「おばあちゃんが苦しそうにしている。痛み止めなどを打ってもらうことはできないのか」と。年配の看護師さんだったが「あぁ、あのおばあちゃんなら苦しそうな顔をしてももう意識はないから痛みも感じていないはず。今からする処置もないからそのままにするしかない。」と言った。そしてその時おばあちゃんが肝臓癌であることも聞いた。痛みがあるかないか本人じゃなければ分からないはず、と何ともこの看護師さんの対応が無慈悲で癪に触った。因みに、この看護師さんとのやり取りで医療者の意識、心の持ち方をきちんと教育する必要があることを感じ、医師や看護師になる生徒が多い本校に、医療コースを設置することを決めた。どのような状況であっても医療者は最期の最期まで患者さんとその家族に寄り添わないといけないと痛感する出来事だった。おばあちゃんの様子を見ていてそう長くないことは理解できた。今晩か明日か、そのぐらいの長さだと直感した。このままずっと病室にいたいのだが彼女たちの門限があるのでそろそろ帰らなくてはならない。でももしも今晩おばあちゃんが息をひきとるような事があれば誰にも看取られずひとりになってしまう。とにかくおばあちゃんがひとりで寂しくならないよう「おばあちゃん、今日はみんなでここにいるから安心してね。」と耳元で言い、おばあちゃんの好きな讃美歌を3曲歌ってお祈りしてもう一度「みんなでここにいるよ」と言い残してそっと病室を出た。みんな泣いていた。帰りの車の中、1時間の道中であったが誰も口を開く事なくおばあちゃんのことを考えていた。彼女たちを寮に送り、パーティーを仕切ってくれたリーダーにお礼を言いに男子寮に行った。そしてその晩は寝たが早朝の電話で起こされた。おばあちゃんが朝5時前に、イエス様の再臨を待ち望みつつしばらくの眠りについたことを知らされた。すぐにむっちゃんたちにも報告した。私たちが病室を去った8時間後におばあちゃんは亡くなったのだ。本当に悲しいお別れになってしまった。翌日、おばあちゃんの亡骸が本校のチャペルに帰って来た。ご親族が本校での葬儀を希望されたからである。葬儀にはむっちゃんも参列していた。むっちゃんにとっては本当のおばあちゃん同様の存在で、彼女の心の支えでもあった大切な方だ。おばあちゃんと出会って約半年間。とても良い交わりをさせていただいた。むっちゃんにとってどれほど大きな出会いだったか分からない。またおばあちゃんにとっても、神様が与えてくださった濃密な半年間だったに違いない。前日心に誓った通りそれから約4年の準備期間を経て本校におばあちゃんを記念するかのごとく医療者進学コースが誕生した。現役医師や看護師、PTなどによるレクチャーもたくさんあり、病院実習もするかなり本格的な授業だ。このコースを設立するのは非常に困難で障害や妨害も多かったがおばあちゃんのこと、そして病院で出会った看護師のことを思いながら何とか開設にこぎつけた。毎年、このコースのオリエンテーションでおばあちゃんとむっちゃんの話しをすることにしている。ジェラール・シャンドリーという人が次のような言葉を残している。

一生の終わりに残るものは我々が集めたものではなくて我々が与えたものである。
ジェラール・シャンドリー

おばあちゃんは最後までむっちゃんに与え続けてくれた。そしてクリスチャンとしての立派な人生を全うされた。イエス様がご再臨される時おばあちゃんとむっちゃんは再会する。その時何を話すのだろう。「あの時の葛餅、蒸しパン、みんな美味しかったよ」とむっちゃんの手を両手で握りながらおばあちゃんは大喜びでむっちゃんと再会するのだろう。死別はとても寂しく悲しいものだが再会の希望があるのはクリスチャンの特権だと思う。今でもむっちゃんとおばあちゃんのことを思い出すと涙が出てくる。本当に素晴らしい出会いを経験させてくださった神様に心から感謝したい。

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