愛する子ども達

長男

早朝から何度もメールが来ていた。分かってはいたが眠くて起きられなかった。やっと5時半に起きてみると防災のメールだった。以前の職場であり現在長男が在籍している学校付近の危険を知らせてくれるメールである。夜中に大量の雨が降ったようで学校付近の川が警戒水域を超えているようだった。急に3年前の悪夢が蘇って来た。同じようなことにならないだろうかと心配でたまらなかった。しばらく待って長男が朝食を終えた時間に電話をかけてみた。「パパだけど、この前のサマーコンサートはとても良かったよ。上手に歌えて感動したよ。登校前の忙しい時間に電話をしてごめんね。学校の周りの川が危険水域を超えているので3年前と同じことが起こるかもしれないというメールが来たから気をつけてね。寮は山に近いからなるべく校舎にいるようにして、いつも山を気にしていた方がいいよ。泥水が山から流れていたら早めに逃げて。先生たちは忙しくて生徒を守ってくれないから自分で自分を守って。それと君は寮長なんだから寮生のことを考えてみんなが安全に逃げられることをいつも考えるんだよ。とにかくできるだけ早く寮を出て校舎に逃げて」と矢継ぎ早に喋った。雨は止んでいるとのことだったが土砂崩れは雨が止んでから起きることが多い。本当に心配でたまらない。この記事を書いている今も警戒レベル5とのメールが届いた。少し前に学校からメールがあり、学校はいたって安全で平穏との報告だった。甘い。自然災害をなめている。今晩にも土砂崩れが起きるかもしれないのにこのまま山までの距離が5mと無いところに建つ寮に今晩も寝るのかと思うと心配でこちらの方が眠れない。まだ中学生の子どもが自然災害に巻き込まれるかもしれないところにいることが不安で不憫で仕方ない。真冬では無いのだから、ふたつの寮が砂防ダムの役割を果たしてくれる体育館に寝ればいいのに。学校のことを熟知しているだけに心配は募るばかりである。

次男

実は昨日、七夕の投稿は別の記事にしようと考えていた。が、成り行き上西日本豪雨災害のことを書くことにした。七夕にはいくつかの思い出がある。クリスチャンなので短冊に願い事を書くということ習慣はないがあの時は違った。あの頃は次男が周期性嘔吐症の発作が治らずずっと入院していた時期であった。この入院期間が本当に長かった。3年以上入院生活を送っていた。病棟のナースステーション前に短冊がおかれ自由に願い事を書いて笹につけるように準備されていた。毎日があまりにも辛く、この子の将来がどうなるのか先が見通せなかった。もしかしたらこのまま病院で一生過ごすのかもしれないという恐怖が常にあった。自分たち親は交代で次男の付き添いができるが長男は感染予防の絡みで次男に面会することができない。長男は次男のことを心配しながらも「会いたい」とよく泣いていた。それが可哀想でたまらなかった。短冊に「クリスマスにはお兄ちゃんに会えますように」「お兄ちゃんとずっと一緒にいられますように」などと何枚も書いた。子どもの前では泣かないようにしていたがこの時は書きながら涙が止まらなかった。心配そうな顔で覗き込む次男を安心させようと「一緒に写真を撮ろうね」と言って無理やり写真をとった。父親は泣き顔である。

これからのこと

毎日何度も家族が揃って生活できるようにお祈りしている。しかし現実はそんなことは絶対に起こらない、と言わんばかりの様子である。妻の心は頑なである。子どもに会いたい。家族で共に過ごしたい。多くの家庭にとって当たり前のことが自分には決して起こらないだろう奇跡なのである。会えない子どもたちのことを考え心配し祈る、こんなことしかできない自分が情けない。これからのことを考えると将来があるのかすら疑問である。しかし、転じてイエス様のことを考えた時にイエス様も同じような状況なのかもしれないと思った。愛する子どもたちがイエス様を見ようともしないで自分勝手に生きている。災害や疫病などの危険を通して世の終わりが間近に迫っていることを警告するも人間は不安感は持つもののイエス様に心を向けようとはしない。愛する子どもたちをなんとか救おうとするイエス様の愛が徒労に終わっているようにも見える。子どもたちのことを思い、見通せない将来を思う時自分はイエス様のことを考えイエス様に会いたくなる。この投稿を読んでくださる方がひとりでもイエス様のことを考えてくれたら、と思う。

広島・三原市 大雨で堤防壊れ「レベル5」

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