誕生日

死にたいと思いながら結局57歳の誕生日を迎えてしまった。頭はおめでたいが、おめでたい歳ではない。早朝、寮生活をしている長男が電話をくれた。「今日はパパの誕生日でしょ。おめでとう。」本当のことをいうと長男から連絡がくるまで忘れていた。「あ、そうだったね。覚えてくれていたの。ありがとう。とても嬉しいよ。」と返した。その後妻や次男からも連絡があり、ありがたいメッセージをもらった。しばらくして両親からも電話があった。まず父が出て「今日は誕生日だったな。お母さんが電話をかけろって言うもんだから。誕生日おめでとう。ちょっと待ってよ、お母さんにかわるから」、そして母が電話に出た。認知症なのでいつもの通り会話がずっとループする。でも声は元気だ。ガンの腫瘍マーカーが最近上がって来ているので心配していたが声は元気そうだ。57歳なのに母にとってはまだ小学生の子どもなのかもしれない。重度の認知症なのに子どもの誕生日は覚えている。昔のことは憶えていると言うが本当にそうだと思う。元気なの?今何しているの?生活は大丈夫なの?これを何度も繰り返すのである。30秒前のことが分からなくなるのだ。もう親に甘えられる歳ではない。でも「お父さん、お母さん…」と言って今の状況や自分ではどうしようもできない現実を全部話したくなる。話しているだけで安心するし涙が出そうになる。「大丈夫だよ。何も心配いらないよ。全部うまく言っているから。」もちろん嘘である。全部うまくいっていない。

自分は何にも恵まれていないと思うことが良くあるが、しかし両親と奥さん、子どもたちには恵まれた。本当にそう思う。ハンドバッグ職人として働く父。子どもたちが全寮制の学校に入ることで収入の殆どが学費に消える時と東京の土地を購入する時期が重なったのだからどれ程大変な思いをして育ててくれたか分からない。そんな苦労をよそに自分は、高校では停学になり結婚しても離婚してしまった。他の2人の兄弟は両親の犠牲に見合った大人になっているのになぜ自分だけこれほど迷惑ばかりかけているのか。決してふざけて生活しているわけではないがどうしてもうまくいかない、全てがうまくいかないように思える。これなら我が家は2人の子ども、ふたり兄弟の方がよかったと何度思ったか分からない。自分がいることで家族が迷惑し負担を背負い幸せになれない。本当に申し訳ない。そんな自分に他の2人に対するのと同じように接してくれる両親の愛情が苦しいほど伝わって来て嬉しくも申し訳ない気持ちになる。90歳を超えた父。6歳下の母。自分がいなくなることで人々、特に家族に幸せになってもらおうと思って来たがもう少しだけ生きてみようか。そしていつか自分の存在で家族を幸せにできたらこれ以上の喜びはない。お父さん、お母さん。本当にありがとう。

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