分からないことに対する不安
今日も色々な用があり片付けや聖書研究をした後外出した。まずは「ふれあいセンター」なるところにダンボールのゴミを出しに行った。自分がイメージしているところとは違うところに位置していてやはりナビに頼らないといけないかな、と思った。が、毎日ナビに頼ってなかなか道を覚えないので迷いながらでも道を覚えようと極力ナビを使わないで運転した。次に行きたかったのが弘前の街。炊飯器がなかったので購入しなくてはならなかった。とりあえず弘前方面に向かってみると昨日行った場所(ドコモショップ)と同じ光景が目の前に現れた。ここだ、ここにヤマダデンキがあるはず。しっかりと探し当てて目的のものを購入することができた。つでに隣のスーパーで玄米を買った。そして次はトヨタのお店に行きたかった。ナビを使わないと決めたのに矛盾しているが、新しいナビ用の地図を購入するためお店を探した。確かこの辺りにネッツトヨタがあった気がしたとおぼろげな記憶だけを頼りに車を走らせていたらトヨタカローラがあった。どこでもいいや、と思いお店で地図データを購入できるかを聞いていた。購入はできるが注文になるとのこと、そして現在買える地図は2020年秋版らしいがもう少しで2021年春版が発売されるのでもうしばらく待ったほうが良いのではないかとアドバイスをしていただいた。確かにそのほうが良いと思い1,2ヶ月後に購入することに決めた。あとは自宅に帰るだけだったがナビを使わないで記憶とカンピュータでなんとか乗り切ろうとした。自分が住んでいるところと弘前では102号線と7号線が幹線道路になる。ふたつの道路は交差しているのだが7号線に入ると見慣れた景色に気づいた。自分が初めてこの土地にきたときに通った道だ。ユニクロや潰れたダイソー、そしてネッツトヨタもあった。ここを一回右折するだけで自分の住まいにつける。帰りはなんとかナビを使わないで帰宅できた。知らない土地で運転して不安になるのはその先に何があるか分からないことだ。目的地があるのに、そこに向かう正しい道を選択できているかが不安なのである。きちんとゴールまで道案内をしてくれるナビに従うことで安心して目的地に向かうことができる。自分の信仰生活にも似ている気がした。聖書の御言葉というナビを頼りに、また祈りに応えてくださる神様の声を頼りに道を進むとき、自分は間違いなく正しい目的地に到着できる。人生のナビである聖書が与えられていることは本当に素晴らしいことだし感謝すべきことだと思う。ここ1週間ぐらい休んでしまった聖書研究も今日から再開したがダニエル書を終えた今何を勉強しようかと迷ったが結局黙示録を学ぶことにした。ヨハネの黙示録は現代社会、また終末のこの時代を生活するのに必要なナビとなる言葉がたくさん書かれているから何よりもまずこれを学ばないといけないと思った。
便利な生活
今日の本題と関係ない話であるが青森にきて自分の生活が飛躍的に便利になった。洗濯機、冷蔵庫、オーブンレンジが入ったことで生活が一変した。これまでの一年間はこれらがない生活をしていた。洗濯はお風呂に入る際手洗いをしていた。シーツなどの大きなものを洗濯するときだけコインランドリーを利用していた。また冷蔵庫がなかった。なので食材は毎日翌日1日で食べる分しか買うことができなかった。オーブンレンジもなかったのでグラタンやドリアができないことは勿論であるが温める、という作業も湯煎などを用いて行なっていた。この3つが揃うことにより飛躍的に生活が楽になった。特に洗濯が楽しくて、洗い物をためずに毎日洗濯している。これらの家電を考えた人は本当に偉大だと思う。最新の機能がついた家電も素晴らしいがいまの自分にはいたってシンプルな多機能でない家電でも十分に感謝できる。本当にありがたい。生活が豊かになることで自分のために使える時間が増える。増えた時間でまた聖書研究ができる。今日はその増えた時間でバイオリンを弾くことも出来た。長旅で車に積みっぱなしだったので状態を確かめるべく楽器を取り出してみたが洗濯が終わるまでの1時間弱、存分にその音色を堪能することができた。生活が便利になることで生まれてくる時間を何に用いるか。人それぞれに違うと思うがやはり神様に心を向けることに用いることが大切なのではないかと思った。
今日も岩木山は綺麗だった。
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