駆け込み入学
高等学校の教頭をしているときのこと。3月の後半に電話があった。この時期にかかってくる電話の多くは駆け込み入学の問い合わせ。「後期入試の日程を教えてください」「まだ入試受けられますか」などである。基本的に本校は一回だけの入学試験で終わってしまう。今回かけてこられたのは沖縄県のある女子生徒。普通は親御さんが問い合わせてくるがこの電話は本人からだった。何か特別な事情がありそうだったので話を聞いてみた。県内では比較的有名な進学校に通っていた彼女は2年生の後半から色々なことを考えるようになる、なぜ勉強するのかその意味を見失ってしまった。そして徐々に不登校気味になり毎朝家は出るものの近所の図書館で本を読んだり自習をして過ごしてきたらしい。そのまま勉強していれば県内でも上位の高校に進学できる筈だったが3年になってからは殆ど学校にも行かなくなったという。「このままではいけない」と自覚したのは年が明けてからだった。そのまま浪人することも考えたそうだが自分を変えるためにはまず沖縄を出る必要があると思い調べていく中で全寮制の本校を探しあてたらしい。「環境が変わっても変われないかもしれないよ」「本校はキリスト教主義の徹底した教育プログラムを行っているからかなり厳しいよ」「新入生の80%以上が系列の中学校出身者だから高校からの入学者はかなり苦労するよ」などとかなり意地悪なことを言ってみた。私の立場では本来このような申し出を断らなくてはいけないからだ。しかし彼女も食い下がってきた。本校が徹底したキリスト教主義の学校であることを調べ、沖縄にある系列中学に見学にも行ったそうだ。しかもひとりで。少し心が動いた。子どもは窮状を親に訴え親が奔走するのが一般的な光景だ。しかし彼女は全て一人で考え親の存在が見えてこない。「もう一度明日ゆっくり話しをしよう」とその日は電話を切った。この件をどのように抱えたら良いのか1日悩んだ。そして翌日。彼女と電話で話した。同じような内容だったが自分がなぜ本校に興味を持ったのかを話してくれた。異例中の異例ではあるがこのことを教師会に提出し教員の意見を聞かせてもらうことにした。教師会では色々な意見が出されたが多くの先生が、自分で門を叩いてきた彼女に普通ではない何かを感じたようで結局「二次募集試験」ということで入試を受けさせても良いという許可が出た。早速試験の手配をして受験してもらった。成績は進学校に通っているだけのことはあって問題なかった。面接試験も評価は高かったようで結局合格となった。この時期にひとり増えたり減ったりすると教務課と事務課はとても苦労する。名簿を作り直し全ての書類を作り直さなければならない。ホームルームを決め寮の部屋もアレンジしなくてはならない。大変だけど教員、スタッフ一同気落ちよく彼女を迎い入れるために頑張ってくれた。これが彼女rieの駆け込み入学のあらましである。
不登校rie
入学式前、いよいよ新入生が緊張した面持ちで学校にやってきた。その中に笑顔いっぱいのrieもいた。最初は系列校からきた生徒がグループになりその輪になかなか入れない系列外からの進学者がポツンとしてしまう。毎年の光景だ。でもこれも2,3日でかなり変化してくる。「辛いのは今だけだから頑張れよ、rie」と心の中で思いながら彼女を見ると、なんと彼女は系列校出身者の輪の中心にいた。そして何やらみんなに話しており周りもその話に聞き入って時々歓声をあげていた。「最初から頑張っているな」とその光景を見守った。入学式も終わりオリエンテーション、実力試験などもひと段落した。学期が始まって10日ぐらい経った頃。寮からの報告でrieが体調不良で欠席するとのこと。春といっても沖縄と本校では気温が10度ぐらい違う。風邪でもひいたのかな、と思った。翌日もrieは欠席した。そしてその翌日も。流石に気になり女子寮の舎監に様子を聞いた。「本人は体調不良と言っているが精神的なものかもしれない」とのこと。高校生でも、また系列校から来た寮生活に慣れている子でもホームシックになることはある。rieもホームシックなのかもしれないと思いながらも少し気になったので寮に出向き少し話してみることにした。寮の玄関に談話室がありそこまでは男性教員も入ることができる。談話室で待っているとrieがやって来た。
「どうした?体調が悪いの?病院では特に異常はないって言われたらしいけど何か自分にできることがあれば言ってごらん。」
と促した。俯いて黙っているrie。
「気持ちを上手に説明できなくてもいいよ。思ったこと、思いついたことを何でも話してごらん」
というと少しずつ重い口を開き始めた。
「rieには友達がいない」
入学式あたりではあれほどみんなと仲良くやっていたのに。
「なんで友達がいないと思ったの?」
「自分がバカだったから」
「バカな人はいないと思うけど何かあったの?」
「高校では中学校のような失敗をしないよう、自分を変えたくてなるべくみんなと明るく喋るようにしていたの。この学校の生徒って純粋な人ばかりだからなんでも信じちゃって。面白さもあったし人気もでるかなと思って中学時代年齢を偽ってキャバクラで働いていたって言ったら本気にして驚いていた」
「本当にそんなバイトしていたの?」
「するわけないですよ。ただみんなからチヤホヤされるのって初めてだったから嬉しくて嘘ばかりついていたら段々友達が離れて行っちゃった」
自業自得かもしれないけど、本人なりの知恵でやったこと。今までの自分を払拭して違うイメージで頑張ろうとしたところは素晴らしいと思う。
「これからどうしようと思っている?」と聞くと
「やっぱりこの学校は合わなかったのかもしれない。沖縄に帰ろうかな?」
「辛くてどうしようもなければその選択もあり得るけど今はそうすべきではないと思うよ」
そしてどうして友達が必要なのかを聞いてみた。
「だって友達がいないといつもひとりだもん。食事にだって一人じゃ行けないし教室でもひとりぼっち」
「なんだ、その程度の友達か。そんな友達なら今すぐ僕が君の友達になるよ」
自分としてはもっと友達の意味を考えさせたかったのだがrieは意外な反応をした。
「本当?先生が友達になってくれるの?じゃあ食堂にも一緒に行ってくれるの?」
話が少し本筋から離れた気がしたが仕方ない。
それから彼女は毎日登校するようになった。登校と言っても寮から学校の昇降口までは徒歩1分。食堂までも徒歩1分。それでも不登校になるのだ。学校までの物理的距離ではない。精神的距離が不登校にさせる。何れにしてもrieは毎日午前の授業が終わると教頭室にやってきて食事に行こうと誘う。そして一緒に食堂に行き2人で食事をとる。周りの生徒も怪訝な顔でrieと私をみていた。そして食事が終わると毎日rieと話しをする。
「先生、どうやったら友達ってできるの?」
「朝、教室に入ったらみんなに挨拶してごらん。挨拶を返してくれなくても笑顔でね。休み時間にひとりぼっちになってもずっと笑顔でいてごらん。明日から早速やってごらん」
そんなやりとりをしながら毎日昼食はrieと食堂に行っていたが1週間ぐらい経った頃だろうか、ある日ふたりの女子生徒が
「先生たちいつもふたりでご飯てべているけど、今日は私たちも仲間に入っていい?」
「もちろん大歓迎ですよ」
「あ、紹介します。こちら沖縄からきたrieさん」
「知ってますよ!!」と大爆笑。
その日からrieと私の昼食には誰かが加わるようになった。そしてそれから3週間後、rieは教頭室に迎えに来なかった。忘れたのか?少し気になって食堂に行ってみるとrieが同級生と楽しそうに食事をしていた。
rieの卒業
その後rieは自分らしさを取り戻し明るく前向きな生活ができるようになった。廊下から響いてくる一際大きな笑い声、rieである。一時は沖縄に帰ると悩んでいた彼女だが無事に卒業することになった。卒業前にまた教頭室に来た。「先生にこれあげる。私からのラブレターだよ。卒業式が終わって私がいなくなってから読んでね」と手紙を渡された。果たして卒業式も終わりrieもいなくなったので約束どおり手紙の封を切ってみた。「先生今まで本当にありがとう。先生はこの学校に来て一番最初にできた友達でした…」手紙には自分の3年間を振り返りどれだけ多くの人に支えられてきたか、そして中学時代にあれほど欲しかった真の友を得て卒業できることへの感謝が綴られていた。他の学校と感覚が違うかもしれないが全寮制の学校ではずっと生徒と一緒にいるので家族のようなイメージを持ってしまうことがある。だから本校の卒業式は他の学校より少し涙が多いのかもしれない。そして教員は家にいた我が子を送り出すような気持ちで彼らと別れる。辛い。辛いし彼らが心配。しかし手放さなくてはならない。だから神に祈る。どうか彼らの前途を祝福し、彼らがどのような状況の時にも片時も離れず神様が一人一人を守ってください、と。rieを沖縄からこの学校まで導き紆余曲折ある中でも彼女を守り続けたその同じ御手で彼女を守り続けてください、と手紙を読んだ後にひとり静かに祈った。数年して彼女から写真が送られて来た。結婚の報告と赤ちゃんが生まれた報告。「結婚の報告が遅れてすみません。赤ちゃんも先日生まれたんです。あ、私たちできちゃった結婚ではなく、できてない結婚です」と書いてあった。rie、それが本来の結婚だ。