落胆しない考え方

今日の出来事

今日は朝一の透析患者さんが入院していて当病院にいるので迎えの必要がなく別の外来患者さんの迎えを応援することになった。最初の方は少し遠くの患者さん。週に3度外来に通ってこられる。次に迎えに行ったのが透析の患者さん。比較的近い距離にご自宅があり道も分かりやすいため苦労はない。しかもこの患者さん(おばあちゃん)はいつも色々と声をかけてくださる。青森の生活に慣れるために多くの情報を提供してくださる。非常に愛想がよく優しいおばあちゃんなのでこのお宅の迎えは心が弾む。次は予定外の外来患者さん。この人は少々認知症気味のおじいちゃん。もう一人のドライバーさんに対して悪態をつくことがあったので今日は代わりに迎えに行って欲しいとのことだった。先日この方のご自宅は習っていたのですぐにご自宅に向かった。この方は毎日外来に来られる。北海道に住む息子さんからの以来で毎日外来に通わせて欲しいとのことだった。おじいちゃん一人で暮らしているため、言い方は悪いが安否確認のために送迎無料の当院が利用されているような形である。おじいちゃんは耳が遠く寝ていることがあるので部屋の中まで入って起こすよう家族から言われている。おじいちゃんの自宅に行ってギョッとした。家の玄関を開けたところから壁や柱一面に経札が貼られている。見ているだけで胸が締め付けられそうになる。クリスチャンの環境で育ってきたので経札だらけの家など見たことが無い。それでも言いつけを守らなくてはいけないと思い中に入った。「おじいちゃん、おはようございます。入りますよ」と声をかけながら部屋のドアを開けるとすぐそこにおじいちゃんが寝ていた。洋服を着て寝ていたので迎えを待っているうちに眠ってしまったのかもしれない。枕元に入れ歯があった。大きな声を数回かけるとやっとおじいちゃんが起きてくれた。が、分からない津軽弁を入れ歯無しで喋るからいよいよ分からない。とにかく笑顔で「迎えに来ました」と何度も言うとやっと目が覚めたのか理解してくれた。迎えってまさかあっちの迎えと勘違いしたのではないかと一瞬動揺した。おじいちゃんを車に乗せて走り始めるとやはり臭う。お線香の匂いだ。患者さんを乗せて密室になるのでどうしても気になるのが匂いである。お線香の匂いはまだ耐えられる。一番苦しいのはやはりタバコである。透析患者さんにヘビースモーカーが2人いる。この人たちを乗せる時は気づかれないよう事前に窓を少しだけ開けておく。そうしないと吐きそうになってしまう。

仕事中に数件メールが入った。あとで確認してみるとかつての保護者からだった。自分の退職した旨が機関紙に載っていて驚いた、とのメールだった。そう言う発表があったのか、と思いながら自分のことではあるがどこか人ごとのように考えていた。

あるメッセージ

患者さんを乗せていない時間に講演会や礼拝のメッセージを聞くことが多い。今日もある牧師先生のメッセージを聞いたいた。このお話は過去にも数回聞いたことがあるはずなのだが、今日は聞きながら「そうそう」「まさにその通り」と車の中で独り言を連発した。苦難に直面して神様に祈るも沈黙し続ける神様に対して様々な思いが湧き上がってくる。不満、不平等感、文句、神様に対する失望等々。ヨブの人生をなぞりながらそのような場面に遭遇したらどうすべきか、と言うことをお話ししてくださっている。自分が下手な説明をするとかえって混乱してしまうかもしれないので是非このメッセージを聴いていただきたい。クリスチャンであってもなくても苦しみ、悲しみに直面している人には是非聴いて欲しいメッセージである。

メッセージはこちら(人生の重荷を軽くする三つの話 2、落胆しない考え方)

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