落胆しない考え方

ヨブの経験から

毎日成長も進歩もない生活をしているので本当に申し訳なく思っている。生きる気力に乏しく、生きたくても生きられない方のことを思うと恥ずかしくまた申し訳なく思う。こんな生活をいつまで続けるのだろう、自分自身で変わる努力をしなくてはいけないのはよく分かっているのだがその力が出てこない。神様に祈り求めるのが精一杯である。

今朝もアラームより2時間ほど前に起きてしまった。ボーッとしながら、生きることを考えていたら涙が出てきた。情けない。少し気持ちをかえようと以前に何度も視聴したある牧師先生のYouTube講演会を視聴した。何度も視聴しているのに、何故か全てが自分の事情に当てはまることに気づき、もう一度最初から再生し直しメモを執ってみた。

(以下、講演内容のあらすじ)

ヨブの叫び

神様に対して我慢の限界を越えたヨブが発した言葉が以下のとおり。

私は生まれないほうがよかった
なぜこのような苦しい目にあわせるのですか
なんども助けを求めたのに応答してくれないのはなぜですか
あなたの耳は聞こえないのですか、あなたの目は私の苦しみが見えないの
ですか

6いま言えることは、神が私を押し倒し、網で生け捕りにしたということだ。
7必死に助けを求めても、だれも相手にしてくれない。声を限りに叫んでも、人間扱いさえしてもらえない。
8神は私の道を遮断し、光を闇に変えた。
9私の栄光をはぎ取り、冠を取り上げた。
10私はとことんまで打ちのめされ、虫の息となった。もうおしまいだ。
11神は私を敵視し、私に向かって怒りを燃やす。
12神の送った軍勢は、私の回りを二重三重に取り囲む。
ヨブ記19:6-12(リビングバイブル)

世の中には失望落胆の経験が絶えないが大別すれば以下の4つのどれかに当てはまる

失望落胆の種類
・世の中に失望落胆する
・人に対して失望落胆する
・自分に対して失望落胆する
・神に対して失望落胆する

このなかで、信頼している神から見放された気持ちになって失望落胆することが最もきついことだと思う。そして人は試練(トンネル)の中に迷い込んだ時に次のように考える。

苦しみの意味がわかれば忍耐できるかも知れない
トンネルの長さ
トンネルの先にある光景
これらが分かれば忍耐できるかも知れない

ヨブはまた次のように叫んでいる。
11わたしにどんな力があって、なお待たねばならないのか。わたしにどんな終りがあるので、なお耐え忍ばねばならないのか。
12わたしの力は石の力のようであるのか。わたしの肉は青銅のようであるのか。
13まことに、わたしのうちに助けはなく、救われる望みは、わたしから追いやられた。
ヨブ6:11-13

そして不安になることがもう一つ。この試練の道はどこが出口なのか、もしかしたら袋小路で出口がないのでは?と不安に思うことが恐ろしい。

袋小路

袋小路といえばイスラエルの民の「出エジプト」の経験を思い出す。エジプトを出発してからすぐに「袋小路」の経験をする。その場所はバアル・ツェフォン。先には海、左右には高くそびえる山々、そして追っ手のエジプト軍が後ろから迫ってくる。絶体絶命のピンチで袋小路に入ってしまった。人生にもこの「袋小路」に見える経験がよくある。そしてその経験が人を失望に追いやる。

人生におけるバアル・ツェフォンの経験は次のようなものではないか。
・思い通りにいかない
・もう打つ手がない
・方法、道がなくなった
・救い、幸福と反対の方向に進んでいる
・八方ふさがりの状況
・閉じ込められ、行き止まり
・袋小路に入れられた
・敵から見ると「袋の鼠」状態

そして信じていた神様に対しても疑問がわいてくる。

神に対する大きな疑問
・神は本当に公平なのか
・なぜ神は沈黙しておられるのか
・なぜ神は隠れておられるのか

この疑問を持ちながらも人々は神に祈る。奇跡を信じて神に祈る。もしもヨブとは全く正反対の経験が与えられたら、人はどうなるのだろうか。即ち祈りが聞かれ、求めている道が与えられ、進むべき道を細かく指示され、不足を訴えればすぐに与えられる経験。そんな経験をすると、人はどうなるのだろうか。実はこの経験をした人たちがいる。それがまさにエジプトを出発してカナンに向かうイスラエルの民だった。

・助けてと求めたらすぐに与えられる
・与えてといったら与えられる
・奇跡が連発し炸裂する
・祈りがすぐに応えられる
・明確な神様の指示が与えられる
→そのような経験をした時にイスラエルの民はどうなったか?
*イスラエルの民は「神はいらない、やはりエジプトが良い」と言う民になってしまった
*神以外の神を礼拝し真の神から離れた

奇跡が炸裂する状況の中で、イスラエルの信仰は育たなかったのである。ならば、信仰が育つ状況はいかなるものなのか。それが
*苦しい経験
*希望と不確実の狭間

である。希望と不確実の狭間で人の信仰は強められ、その心、品性が練り清められていくのである。またただ耐え忍ぶだけでなく、このトンネルを通過する経験で何かが起こっているのかも知れない。ガソリンスタンドにある車の洗車機もある意味トンネルである。しかし、ここを通過する時、車は綺麗にされ今までの汚れが無くなる。

暗闇の中で

神様は人に対してこの「トンエンルの経験」を与えることを許されるが、それはある歌を教えるためである。

E.G.Whiteの著書に次の言葉がある。

籠の中の鳥は真昼の間や、また他の声を聞く時には飼い主が教えようとする歌を決して歌わないものである。これを少し、あれを少しと部分的に覚えるだけで決して完全なメロディー全体を覚えない。しかし飼い主が籠をおおい、その鳥に教え込もうとする歌だけが聞こえる場所に置くと暗い中で、鳥はその歌を全部覚えるまで何回も繰り返し歌い、ついに完全なメロディーを歌い出す。それから鳥を外に出すとその後はいつでも明るみでもその歌を歌うことができる。そのように神も、その子らを取り扱われる。私たちに対しても教えようとなさる歌があり、苦悩の暗黒の中で私たちがそれを覚えてしまうとその後はいつでもそれを歌うことができるのである。
ミニストリーオブヒーリングP456

暗闇で、人に対して神様は「神様に頼る」という歌を教える。そしてこの歌をマスターした人間は生涯この歌をうたい続け「失望落胆」から解放されるのである。

16だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
17なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
18わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

第二 コリント4:16-18

*何かが壊れると何かが新しくなっていく
*何かが崩壊すると自分の中で何かが新しくなる
*一つのドアが閉じられると、もう一つのドアが開く

閉じたドアに気を取られ、開けられたドアに気づかないことが多い
何かが衰えると、別の何かがうまれる
何かを手放すと、別の何かが手に入る
だから落胆しない

霧の中で

泳いでいた時に霧に見舞われ方向が分からなくなった。焦ったがじっとしていると遠くから人の声がかすかに聞こえた。かすかな声に向かっていくと、その声はもう少し大きく聞こえた。

そしてその声に導かれて生還した

出口を用意してくださるのは神様の仕事である。自分勝手に出口を作り出してはいけない。神様の用意した出口から出ないといけないのである。

7神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
第一ペテロ5:7

18わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
第二コリント4:18

苦い薬

どうして苦いとわかっている薬を飲むことができるのか。それを飲む模範を示した人がいるから、苦くてもそれを耐えた先に癒しがあることがわかる。自分一人がこの苦しみに耐えている気がしてしまうが、実はこの苦しみをすでに経験して出口から出られ模範を示してくださった方がいる。それが神であるイエスキリストである。

重荷の正しい測り方

自分の重荷を人の重荷と比べて「自分のはあの人よりも楽な重荷だから、頑張って耐えよう」と思うのは正しい重荷の測り方とはいえない。 人と比較するのではなく、自分に与えられる将来の栄光と比較するのである。 苦しみの向こう側にある永遠の命と比べることが正しい重荷の測り方である。
17なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
第二コリント4:17

18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
ローマ8:18

ヨブのその後

前述のヨブはこの真理を理解することができ、神様に心から謝罪している。

5私には、こう申し上げるほかありません。『あなたのことはずっと前から聞いていましたが、今私は、あなたをこの目ではっきり見たのです。
6私は、つくづく自分がいやになり、ちりと灰の中で悔い改めます。』」
ヨブ記42:5,6(リビングバイブル)

イエスは、ペテロが滅びるために、みもとにこいと命じられたのではなかった。イエスは、ご自分に従うようにわれわれを召しておいて、 そのあとでわれわれを捨てるようなことをなさらない。
各時代の希望 電子版 p388

メッセージの全てにおいて共感できた。そして神様に対して吐いてしまった悪口雑言を思い出していた。状況も変わらないし、これで問題が解決したわけでもないが、落胆の中で神様が自分に対してくださることに身を任せられるようになりたい。

人生の重荷を軽くする三つの話 2、落胆しない考え方

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